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YS 2.36 サティヤ:嘘がないということは

ヨーガ・スートラを有名たらしめるのが、ヨガのゴールを目指す8段階を記す八支則。最初のステップは、禁戒と日本語で訳されるヤマ。こういうことはやめなさいねというヤマの、1つめアヒンサー(非暴力)に続く2つめを、今回はみていきます。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.35 アヒンサー:葛藤と生きる」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章36節

सत्यप्रतिष्ठायां क्रियाफलाश्रयत्वम्॥३६॥
satya-pratiṣthāyaṁ kriyā-phala-āśrayatvam ॥36॥

Actions bear fruit for one established in truth. (3)
真実(サティヤ)に確立した者は、行動が実を結ぶ。

今回はヤマの2つめ、サティヤです。サティヤとは何か、そして、それによって何が実るかを順番に見ていきたいと思います。


サティヤとは

『インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ]』(参考2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、サティヤを正直と訳していますが、参考にしている解説書の他2冊が Truth/Truthfulness としているのをみると、真実と訳した方がしっくりくるような気がします。わたしが正直になったとしても、さらにその奥に真実はあるだろうなと思ってしまうのがその理由ですが、どう思いますか。


サティヤを真実と読むとするとしっくり来るのが、ハリーシャ(参考3)が紹介するサティヤの定義のひとつ。「直接見たもの、正当な推論(論理のルール)、権威ある情報源から聞いたもの(そしてそのように記すこと、つまり直接知覚、推論、権威ある証言という情報源も記してこそ真実となる)に従って考え、話すことだ」ということです。これ、聞き覚えありますよね。

ヨーガ・スートラの始めの始めに、心や感情の揺れを起こすものには5種類あるよという話がありました。そのうちの一つ、第1章7節で紹介された〈正知〉の定義と、サティヤが勧める話す内容が同じです。これが、ヨーガ・スートラが定義する真実だということ。基本の考え方として、頭の隅に残しておくといいように思います。


というわけで、サティヤを確立するためには、見るものを含む直接に知覚したものでないこと、煙が上がっていたら火があることが推測される程度以上の推論、権威のある情報源以外からの情報について話すことはやめなさいねということです。

この3つを聞いてまっさきに思い浮かべたのは、ゴシップや噂話でした。これらの根底にあるのはきっと、自分の状況への無力感や、不満からくる嫉妬や「ずるい」という気持ちだよなあと思います。そういう気持ちも、細かく分類してみると少し俯瞰して見られるようになるので、3つの由来についてもう少し詳しく説明した回を、下記にリンクを貼ります。楽しい作業ではないかもしれないけど、その先を見据えて、やってみてもいいと思えたらぜひご一緒に。


『増補新版 ハタヨガの神髄』 (参考17。以下、ハタヨガの神髄)で、アイアンガー氏は、アスティヤを確立するためには、ヤマのひとつめ、アヒンサー(非暴力)であることも大事だと書いています。「現実とは、その根源的な性質においては愛と真実であり、愛と真実の両面を通して表現される」と前置きをしたうえで、「この現実の二面である愛と真実に忠実に忠実に従わなければならない」「だから、愛を基盤とするアヒンサーもいっしょに行う必要があるのだ」と理由を述べています。

だから、愛の反対である悪意を根絶するためには、言葉をコントロールするのがいいということ。


口に出さなければいいというわけではないというのは、心まで潔癖でなければ正直とは言えないという正直至上主義をたなびかせるためというよりは、結局なんかのタイミングで出てしまうんだよという、心と行動はつながっているんだよという話だと、わたしは考えます。思っていることは、表情や動作に出てしまうし、感情が揺さぶられたりしたときに、ふと口から出てしまうこともある。・・・ありますよね、ああ胸がいたい。

だから、アヒンサーもそうでしたが、そうあろうと思って、行動してみるんだよという提言であること。できないことを責めているわけではないということは頭の隅にのこしておきたい。

そうやって、「真実に基づいて生きる人が純粋な心で祈れば、本当に必要なものは必要なとき、追い求めなくても自然に与えられる」んだと、ハタヨガの神髄は続けています。それが、次のトピック。


その行動には実がなる

真実を話すことに努めると、その行動に結果がついてくる。インテグラル・ヨーガ曰く、「自然はすべて、正直な人間を愛する」から、「物事がおのずから彼のもとへ来る」といいます。ここで実をつけるのは、甘くておいしい果実のようです。

真実を話すことによって、言葉が非常に強い力をもつことになり、「正直が彼を遵守する」ようになると書いているのは、とても面白いところです。真実を話す道を確かに歩いていくことで、真実からも歩み寄ってくれるということのようです。

どうしてそんなことが起こるのか。それは、「嘘のないとき、その生活の全体が、開かれた書物となる。心が静かで澄んでいるとき、真の〈自己〉が損なわれることなく映り出て、われわれは心理をありのままの姿で悟る―。」ということです。または、『フォーチャプターズ オブ フリーダム』(参考1)は、サティヤを実践することで、彼自身のもつ力が育ち、心は鏡のようにクリアになり、彼が話す言葉を通して起こるべきことを反映すると書いています。

どちらがイメージしやすいか、どちらが目指したいと思えるか、それぞれを目を閉じて想像してみる時間をつくっておきませんか。


サティヤに限らず、何についても、モチベーションは大事。そして、そのためには、何を目指しているのかを知っておくこと。そこまで解説がしっかり教えておいてくれるのは、よくできているなとつくづく思うところです。

始めるときは、習慣を変えていくわけなので、簡単ではないけれど、インテグラル・ヨーガが「修練を続けていくと、一歩また一歩と進むたびに、より大きな希望がひらけて、ますます革新を深めていく」と書いていること、ヨガに限らず、すでに経験として知っている方も多いのではないかと思います。

自分の中に、いい循環をつくっていこう。


次回は、ヤマの3つめアスティヤす。不盗と訳されるそれは、何を意味するのか。また、それをを実践することで、何を連れてくるのか。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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