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YS 1.35 感覚器官を活用することで

心を集中させる練習方法を続々紹介している、ヨーガ・スートラ。人との向き合い方、呼吸をコントロールすることでと続きました。さて、今回はどんな方法でしょうか。
ヨガインストラクターのもえと申します。今週もどうぞよしなに。

※前回分は、こちら『YS 1.34 呼吸をコントロールすることで』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章35節

विषयवती वा प्रवृत्तिरुत्पन्ना मनसः स्थितिनिबन्धिनी॥३५॥
viṣayavatī vā pravr̥tti-rutpannā manasaḥ sthiti nibandhinī ॥35॥
ヴィシャヤヴァティー ヴァー プラヴルッティ ルトパンナー マナサハ スティティ ニバンディニー

あるいは、微妙な感覚的知覚に対する集中が、心の不動をもたらす。(2)


今回のスートラは、感覚器官を使うようですが、それによって直接知覚したものに集中するというだけではないようです。解説を読むと、どうやら見る、聞く、匂いを嗅ぐ、味わう、触れることによる刺激ではなく、そこへの集中が深まると発生する感覚が起こるので、それに集中せよということのようです。


インテグラル・ヨーガ(パタンジャリのヨーガ・スートラ)(以下、インテグラル・ヨーガ。参照2)は、その深まった先に発生する感覚を「頂上的な感覚的知覚」と書いていますが、わたしは最初なんのことか全くわからないなと思いました。頂上って?

たとえとして挙げているのが、鼻の先端や舌の上側に集中していると、それが十分に深まった時に、「常ならぬ香気」や良い味がしたりするのを体験するそうです。フォーチャプターズ オブ フリーダム(以下、フォーチャプターズ。参考1)は、鼻の先に意識を集中することで、微細な、または超自然的な香り(psychic smell)が、舌の根元に集中すると超自然的な音(psychic sound)が、それぞれ体験できるなどなど、更に多くの例えがでてきます。

分からないなりに、それらを目指してやってみようかなと思う方、インテグラル・ヨーガ曰く、「だがそのこと自体がわれわれに目的地にに連れて行ってくれるわけではない。それは(どれだけ集中しているかを認識するための)単なるテストであり、それ以上のものではない。だからくれぐれも鼻に集中して良い香りをかぐことを目的としないように。」とのことです。あああリマインドをありがとうございます。

このさまざまな幻想や理想の追求であたまをいっぱいにしてしまってはいないかいということは、5つある心の作用の内のひとつ〈ことばによる錯覚〉について書かれたスートラ1.9の解説にも書かれてましたね。そして、その5つの心の作用は、それぞれ苦痛に満ちたものと苦痛なきものに分類できるというわけなので、ここでの感覚も、執着をまとって苦痛に満ちたものにせず、まあそんなことあるねとそのまま受け取る姿勢が求められているようです。

フォーチャプターズが、この方法は集中することに慣れていない人でも取り組めるけれど、次の段階に移行しやすい方法でもあるんだよと書いているように、この集中の対象は、過程にある1つの目安だと覚えておくこといいんだろうと思います。ここで話しているのは、心の集中を邪魔する障害を落ち着かせる方法であって、集中しきった先に、最終的なヨガの目的とする場所があるよということ。


もう1つ引っ張り出してきたいスートラがありまして、それは、スートラ1.17で解説があったサムプラジュニャータ・サマーディ(識別ある三味)の4つのステップ。覚えているでしょうか。1つめのステップは、過去の記憶や経験からの印象のフィルターを通したままその対象一点に集中している状態。2つめのステップは、光や音などの波がある面で跳ね返る反応によって存在する対象物を、そのまま認識している状態。そして、3つめは、認識している対象ではなく、認識しているという行為や能力そのものへ視点がうつる変換を体験していて、説明し得ない喜びの感情をもたらすと書いていました。これを呼んだ時には、ふーんそんなのがあるのね、だけでしたが、この喜びって、今回のスートラがいうところの常ならぬ香気や良い味、超自然的な香りに音によってもたらされるんじゃないだろうか。そして、その喜びも全部を置き去りにして、最後の4つめのステップにつながっていくわけです。

今回のスートラがこの3つめの喜びをもたらす感覚をもたらすものだと考えると、最初に書いたあれこれがまた違った目線で読めるかなと思います。でも、最初に書いた通り、集中が深まってやっと感じるものであるということ。つまり、そこのポイントは感覚器官を最大限に使えている状態、つまり集中を深めていくことを山登りに例えて、その頂上についてやっと感じることなのでは。インテグラル・ヨーガが頂上的な感覚的知覚と書いたのは、そういうことではと思うんですが、賛同していただけるでしょうか。

インテグラル・ヨーガは、その頂上的な感覚を知ることで、「それらの体験がわれわれに自信を与え、確かにこの道で良いのだと感じさせてくれる。」と書いているのも、想像しやすいなと思います。そして自信か、それはいいな。そして、この方法いいなと思ったら、まずは始めて、続けてみましょう。そういうことよね。


ハリーシャ(参考3)は、この意識を感覚器官を使った活動に結びつけることを、いわゆるフロー体験とよばれる状態に近いと書いています。フロー状態というのは、一つの活動に深く没入しているので、他の何ものも問題とならなくなる状態。周りを忘れて集中するさま、そこに溶け込んでいるような感覚。経験がある方、結構いるんじゃないかなと思います。同じではないけれど、ああいう感じを知っているということは、大きな手助けになるはず。

ハリーシャの最初の先生は「ヨガはあなたの問題を解決しないけど、問題が存在するように思える状態を溶かして消滅させることができる」と言っていたそうです。そう聞くとやっぱりフロー体験に近いんだろうなと思います。だから、自分が没入できる好きなことを選んでやってみるのもいいよと彼は提案していました。思いつくものあるでしょうか(そしてそれがヨガ!という方も、もちろんいるだろうと思います!)

ちなみに、このフロー理論は、ミハイ・チクセントミハイ博士が提唱したものです。ご本人がTEDで講演もされているようなので、以下にリンクを貼ります。気になる方は、入口としてご活用ください。


ではでは、今週もサンスクリット語をば。


集中する方法あれこれ、まだまだ続きます。瞑想の練習をされている方、いつもやっている方法出てくるでしょうか。そんなのもお楽しみに。次回はこちらからどうぞ⇩

※ 本記事の参考文献はこちらから





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