YS 2.14 自分が組み込まれているとしてみる
ヨーガ・スートラを、3種類の解説を読み比べながら1節ずつに光をあてる「ヨーガ・スートラを読みたい」。前回から続くカルマについて。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。
※前回は、こちらの「YS 2.13 委ねると選ぶ」からどうぞ。
ヨーガ・スートラ第2章14節
ते ह्लादपरितापफलाः पुण्यापुण्यहेतुत्वात्॥१४॥
te hlāda paritāpa-phalāḥ puṇya-apuṇya-hetutvāt ॥14॥
They fructify as joys and sorrows, due to virtue and vice. (3)
それら(どこにどう生まれるかなど)は、美徳や悪徳に起因して、喜びや悲しみとして結実する。
耳馴染みのある話だなと思いませんか。良いことしたら良いこと起こるし、悪いことしたら悪いこと起こるよということです。
世界に組み込まれている
種、木、果実を例えとしてよく使うヨーガ・スートラ。フォーチャプターズ(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、わたしたちは過去のカルマが結実した果実として、喜びや悲しみ、またはその混ざったものを受け取るのだと言います。
喜びや悲しみといった二択ではなく、それが混ざったものもあるということ。また、それが現れるのは、経済的、社会的な状況に限らないということも書いています。分かりやすく、これがあれのせいかと分かること以上に、毎日の生活のあれやこれに入り組んでいるものだと考えられていることが分かります。
ハリーシャ(参考3)はさらに、その結果を受け取っていないなら、なかったことになったのではなく、次の生に持ち越されるだけだからといいます。カルマから逃れることはできない。
だから、良いことも悪いことも、自分のムードで見方が変わるよね、というようなことではなく、もうわたしがいま属しているこの世界に組み込まれた法則だと考えられていることが分かります。逃れることができない
インテグラル・ヨーガ(パタンジャリのヨーガ・スートラ。以下、インテグラル・ヨーガ)(参考2)は、このカルマの法則について、これを知ったら誰かを責めようという気にはならないだろうと書いています。なぜなら、自分のいま置かれている状況は、全ては自分の選択の結果発生しているものだからです。『あなた自身があなた最大の敵である、と同時に最良の友でもある』。
さあ、どうでしょうか。
自分が組み込まれているとしてみる
結局、信じる信じないは各自に任されていて、でも白黒つけなきゃいけないわけではないから、そういうことじゃない!と目くじらを立てたり、そうことではないはずと自ら扉を閉める必要もないかなと思います。白と黒のあいだのあたりにいるのもいい。
わたしは、縁があってヨガをしていて、なかなか長い付き合いになって、ヨガの世界の見方がいいなと思うことが多いので、ヨガが言うならそういうものだと考えてみよう、というスタンスです。
間違って認識しているかもしれないけれど、それが本当にユニバーサルな法則であるならば、どこかで正されるだろうし、正されないならそれでいいということかなと。あっているのだろうしそもそも気付くくらい丁寧に生きられているかと言えば、えーと、ごめんなさい。
自分と自分のまわりを、もう一度フレッシュな目で見直すよい機会としてもいいよなと思います。カルマがあるとして、いま手にしている果実は、どこから流れてきたんでしょうね。
カルマの話、もう少し続きます。また来週、ここでお待ちしています。
※ 本記事の参考文献はこちらから
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