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YS3.4 サンヤマがもたらすもの

さて、ヨーガ・スートラを有名たらしめる八支則の説明が、前回でひととおり終わりました。ではここから、どう説明が展開していくか。

※前回は、こちらの「YS 3.3 サマーディ:自分は自分の心ではない」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第3章4節

त्रयमेकत्र संयमः॥४॥
trayam-ekatra saṁyamaḥ ॥4॥

同一の対象についてこれらの三者【集中(ダーラナー)、瞑想(ディアーナ)、三味(サマーディ)】をなすことが、サンヤマ〔綜制〕と呼ばれる。(3)

さて、ヨーガ・スートラを有名たらしめる八支則をひととおり述べた後に、最後の3ステップについて書かれた今回のスートラ。解説の内容は、きたぞきたぞなアレです。


〈超能力〉が生まれる

サンヤマという言葉は、サンが完全な、ヤマがコントロールという意味の単語が合わさってできています。そのため、サンヤマとは精神統一の完全なコントロール、それをひとつの対象に行うことというのが、今回のスートラの述べるところです。

そして、このサンヤマの過程を経ることで〈超能力〉が生まれるから、このことはヨガの大事なトピックだと、フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は解説しています。ここで得る〈超能力〉の名前はヴィブーティ(vibhootis)だということです。はーんきたな。


インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、瞑想の「対象または対象となる観念の奥深くへ突き進むと、それ(対象)はその秘密を解き放つ」と表現しています。ここでいう秘密、または結果として語られるのが、ヴィブーティ、または、シッディだといいます。


2つの解説を足して読むと、サンヤマの結果として、秘密として隠されていた〈超能力〉を手にすることになるということです。これを、どう受け取りましょうか。


真実か否か

ここでいう〈超能力〉とは、具体的にどんな力を指しているのか。そして、そもそも、〈超能力〉というものが、実際に存在するか否か。

サマーディの話に戻りますが、ダーラナー(集中)、ディアーナ(瞑想)を経て、自分の心は瞑想の対象に溶け込み、瞑想の対象のみが光り輝くという説明がありました。そこで瞑想の対象のみがよりクリアに明るく光り輝くならば、それ自身が性質として隠し持っているところまで、明らかになるだろう。これが、〈超能力〉が起こるロジックとして、あるでしょうということだと、ハリーシャ(参考3)は解説しています。


わたしは、もうすでに途方もない話だなと思いながら読んでいるので、いまさら私の想像をこえた話が出てきても、だいたいにおいて、なくはないのかもしれないなと思っています。本当かどうかは、そこにたどり着いたら分かる。たどり着けるかどうかはさておきますが。

可能性を、自分で狭めることはないと思うので、だったらいいなあと思うくらいですかね。超能力ってどんなのがあるのか検索してみたくらいの初心者ですが。


ヨガの目的は

ここで思い出しておきたいのは、パタンジャリがこのヨーガ・スートラを編纂したのは、精神的な開放を目指したものだよねとリマインドしてくれるのは、ハリーシャです。

ヨーガ・スートラの始めの始めに書かれていたのは、ヨガは、心の動きを止めること。ただ、その結果として、〈超能力〉も身につく。ハリーシャはこれを、ヨガに人を集める手段だったのではないかと推測しているようです。


ハリーシャは、ホットな6つに分かれた腹筋や、クールなお尻(海外でヨガバット(yoga butt)ということばがあります)を期待して始めた人がいるかもしれないけれど、次第に目的が変わり、その目的を求めて、ヨガを続けている人たちがいると話します。これはとてもアメリカっぽい例えだなと思いますが、実際のところ、ヨガを続けるにつれ、目的が最初と変わってきた方は多くいるのではないでしょうか。

パタンジャリがヨーガスートラを編纂していたころ、超能力を得ることがホットだったのかもしれないなと考えたい、そうハリーシャは解説しています。


そして、この第三章はサンヤマがもたらすものについて、多くの説明が続く章です。この章を読み終えて、何を思うか。わたしは、それを楽しみにしながら読み進めていきたいと思います。まずは、サンヤマの定義でした。

ぜひ続きもご一緒に。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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