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YS 1.48 知が満ちる

瞑想の過程の先はまだあるけれど、この段階で光に満たされるんだよというのが前回のスートラでした。
ヨガインストラクターのもえと申します。今週もよろしくお願いします。

※前回分は、こちら『YS 1.47 光が満ちる』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章48節

ऋतम्भरा तत्र प्रज्ञा॥४८॥
r̥taṁbharā tatra prajñā ॥48॥
リタンバラー タトラ プランニャー

There (at the borderline of nirvicharaa samadhi) the superconsciousness becomes full with cosmic experience. (1)
そこ(ニルヴィチャーラ・サマーディの境界線)では、超意識は無限の知に満たされる。

これまでの瞑想の段階を経ることで実を結ぶことがあるよ、それは自身の最も内側に在るものが光に満ちて輝きだすことだよとありました。その時、そこには、リタムバラー・プラジュニャーという絶対的な真理意識がある、と書いているのはインテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)です。

前回の終わりに紹介した、フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)がいう「(私たちが自覚するところの)知性が作用することを完全にやめる意識の終わりがある。ここからは、別の意識が、大望を抱くヨガ実践者を追い越していく。」と書かれた、別の意識のはなしのようです。

絶対的な真理意識と、インテグラル・ヨーガが翻訳したそれは、なんなのか。漢字の通りに読むなら、何事にも比較されたり置き換えたりすることのない〈まこと〉の意識、ということになるでしょうか。


フォーチャプターズは、この段階でヨガ実践者の超意識(表層にある意識のさらに深いところにある意識)は riatm と呼ばれる究極の知識で満たされるといいます。それがどんな状態かというと、最高位のとても速い速度のバイブレーションに到達すため、それが穏やかな平静さとなる、ということです。

サヴィタルカ・サマーディで、これまで瞑想の対象を名前・かたち・自分にとっての意味で分解して受け取っていたのが、ニルヴィチャーラ・サマーディで、時間・空間・アイディアが物事の線引きをする状態にシフトしていきます。そこでは、瞑想の対象を光と色で知覚する。色とは、 ヒトが目で見える光(可視光線)の波長によって決まるわけです。

今回のスートラが書いているのは、フォーチャプターズの解説によれば、その波長がどんどん短くなり、その先に速いがうえに穏やかな表情をみせる、ということでしょうか。集中が高まるときの意識は、蛇口から水がポタポタ水滴を落とす状態から、一定の量の水が出てくることで継ぎ目なく見えるようなものだと言われますが、これに近い話だなと読むこともできそうです。

ただし、これまでに瞑想の対象の存在を知覚していた感覚器官が、ここではその仕事をしなくなる。感覚器官を差し引いた、そこは、どんなところなんだろうか。


なんだか遠いところの話のようだなと思いますが、それをぐっと自分に引き寄せて読むことができるのは、ハリーシャ(参考3)の解説です。彼は、このスートラが実際に話しているのは、いわゆる直感力のことだといいます。

これまでの瞑想の通して、こころと感情の機能をクリアにすることで、また、違った対象を意識におきながら繰り返し行うことで、直観力を磨くことができるといいます。ハリーシャの表現をそのまま借りるならば、純正化するわけです。

インテグラル・ヨーガが絶対的な真理意識、フォーチャプターズが無限の知識(cosmic experience)とそれぞれ訳したそれを、ハリーシャは真実が実を結ぶところにある洞察(Truth-bearing insight)としました。そしてそれは、正確な直観と、精巧に磨かれた優れた識別力のことだといいます。なんとなく、雲をつかむような話だったのが、少し地に降りてきたような感覚が、わたしにはありますが、いかがでしょうか。そのおかげで、その難しさがより際立つようになりますが、まあそれはよし。


ハリーシャの解説、他2つと比べるとだいぶ異色のような気もしますが、実はスートラ1.25 で各解説書が書いていたことの反復として読めるものでもあります。サマーディへ到達するのを早めるために、(実はわたしたちに内在する)イーシュヴァラに帰依するのがいいよというところから、『イーシュヴァラには、制限のない全知の種が存在する』と書いていたスートラです。

詳しいところはぜひ読みに行っていただければ嬉しいのですが(リンクを埋め込んでいます)、ここでいう全知はどこかから持ち帰るものではなく、既に全て内在している。だからむしろ、この全知とは知る必要がある瞬間に必要なことが分かることとしています。これって要は、直観力です。

わたしたちには確証バイアスが働くため、直観があたったことばかりを覚えておきがちだけれど、実際は結構はずれているものだよね、とハリーシャはいいます(...苦笑い)。だけど、それがより正確になってくると。これは、なんだかとても楽しみにしたいことだなあと思いました。


ではでは、今週も音読をして終わりにしましょう。このスートラがつくるバイブレーションを身体の中に響かせる時間を、ぜひ。


ここまでで十分にいいことを受け取った気持ちですが、まだその先に続きます。ヨーガ・スートラ第1章も残り3スートラ。来週もお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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