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YS 1.50 パワフルであるということは

ヨーガ・スートラ第1章、終わりから2番目のスートラです。どんどん明らかになるサマーディのはなし。まずできることは、読んで、想像して、備える。
ヨガインストラクターのもえと申します。今週もよろしくお願いします。

※前回分は、こちら『YS 1.49 それは、そこにあるから』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章50節

तज्जः संस्कारोऽन्यसंस्कारप्रतिबन्धी॥५०॥
tajjas-saṁskāro-‘nya-saṁskāra pratibandhī ॥50॥
タッジャハ サンスカーローニャ サンスカーラ プラティバンディー

The samskara(s) generated by that [samadhi-insight] impede other samskaras [from arising].(3)
この[サマーディに伴って生ずる洞察によって発生する]サンスカーラは、他のサンスカーラ[が発生するの]を妨げる。

これまで、何度も解説で出てきたヨガ哲学を理解するのに大切な用語であるサンスカーラが、ここで、初めてスートラでも書かれました。日本語では印象や行と訳されるようですが、大事そうなことはそのまま覚えたいなと思うのですが、いかがでしょうか。ひとまず10回声に出しておきせんか。サンスカーラ、サンスカーラ、サンスカーラ、、、、、。

さて。


前回のスートラでもサンスカーラは言及していますが、もう少し前まで遡りつつ、サンスカーラってなんだったっけ、というところから始めるのがいいかなと思います。

スートラ1.18 の解説で初めて出てきましたが、サンスカーラは、馬車が作る車輪の跡である轍[わだち]のように、過去の経験によって潜在的に刻み込まれた跡のこと。地面に残された轍をつい馬車がなぞってしまうように、意識下に残された印象をなぞって同じような行動や思考のパターンを繰り返してしまう、その原因と考えられています。

対象を一点に決めて集中しているとき、対象を名前の音の響き、その名前の意味、そして今までの経験を通した理解と、その3つに区別するのが、最初に通過するポイントでした。その3つめの今までの経験として参照されるのがサンスカーラ。ここでは、今までの経験自身で自覚している意志の力は働くのをやめてしまい、代わりにサンスカーラが稼働すると書いていたのが、スートラ1.42

つまり、サンスカーラは無意識の領域にある。そして、それはまるで種のようであり、根や葉を茂らせていくように、意識のある領域に混ざりにくる。だから、葉っぱだけむしっても解決しようとするのではなく、根っこから引っこ抜いた方がいいように、その無意識の部分に働きかけようという練習もあるよというのが、スートラ1.38 でした。


今回のスートラは、このサマーディの最後の最後の段階に達し、至上の知に満たされた結果として発生するサンスカーラは、他のすべてのサンスカーラを妨げるというわけです。フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、他のサンスカーラが発生するのを抑えられるだけでなく、消滅すると書いています。でも、他のサンスカーラを消滅させても、その消滅させたパワフルなサンスカーラが残ってしまうのだったら、結局また轍を残すだけでは、つまり、同じことを繰り返すだけなのではと思いませんか。

確かに、サンスカーラは嫌悪や執着を引き起こし、結果、苦しみのサークルが続く動力となる過去の辛かったり楽しい経験として言及されることが多い用語です。そして、痛みやトラウマを作った経験のサンスカーラを、ただとにかく消していくなんてできない。ではどうするのか。ポジティブなものによって無効にするか、解毒するのだ、というのがハリーシャ(参考3)です。そのために、とてもポジティブな経験やポジティブな精神状態から形成されたサンスカーラを、しっかりと植え付ける必要がある。サマーディの状態に達したり、戻ってきたりしながら、耕すように育てていくんだということです。

しっかり区別しときたいのは、いわゆるアファーメーションとか、ポジティブに考えようとか、そういうことではないということ。それよりもっと始めの原始的な段階にあるもの、何かが起こった時に、自分が蓄えてきたストーリーで翻訳する前のところにあるサンスカーラ。それは、自身の一番奥底にあるものとの交わり、共有されているものだということです。

フォーチャプターズは、集中、瞑想、サマーディと、意識を心で完全にコントロールしていくプロセスを経てたどりつくそれを、"oneness with the drashta" と呼ばれる海だと表現しています。drashta は〈見るもの〉と同義語のように使われている言葉のようですが、違う言葉なので厳密では同じではないということは頭に入れつつではありますが、つまりいま経験している世界を構築する〈見るもの〉と最終的に出会い、共に大きな海でたゆむようなイメージとして受け取ってみようと思います。


ハリーシャの解説に戻りますが、だから改めてここで、現実についてのあなたのストーリーでなく、現実そのものと交わる必要があるんだよといいます。しっかりと植え付けられたサンスーカーラは、さらに強力になるとき、他のサンスカーラは立ち上がるパワーを持ち合わせていない。果てしない話ではありますが、自分の感覚を通して受け入れているということに注意を払うことから始めなさいといいます。

フォーチャプターズも、ハリーシャも、何年もかかる長い道になるだろうけれど、感覚を通して受け入れているすべては、あなたの魂と呼ばれるような根源の部分にサンスカーラを残していきます。少なくても数年の間は、有益なサンスカーラを生み出すような経験をつんでいけるよう選びなさい。いちど有益なサンスカーラを貯蔵したら、あなたは更に苦しみをもたらす経験があっても、適切に処理し、耐えることができるでしょう、といいます。

パワーがフルであるということは、握るこぶしを力任せに振り回すことではなく、こういうことだ、ということも一緒に教わっているように思います。


そしてその更に先の話を書くのはインテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2)で、この段階に至った者は、常にこの知を保持し続けるのだそうです。そして、その状態にある者は、悟りを開いた聖者ジーヴァンムクタと呼ばれる。ただ、聖者になったとしても、他の誰とも同じように生き、食べ、話し、他の誰とも同じように職業についているかもしれないし、隣に住んでいるかもしれない。ただ、何が起ころうとも、思い煩うことがない、それがその聖者であるということだということは、頭の隅に残しておきたいなと思います。

見た目がとか、周りから崇め奉られているとかではなく、ただその在りようを従えていることだけが、証明ということです。それがやはり、パワフルである、ということではないだろうか。


では、今週もスートラを読んで終わりにしましょう。


さて、来週はいよいよヨーガ・スートラ第1章の最後です。どうぞお楽しみに。またここで、お待ちしています。

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