見出し画像

ニャルさまは干物女子にお熱中―邪神に気に入られて歪んだ愛情を向けられる干物女子の非日常― 第二話

 二十一時過ぎ、なんとなしにテレビをつけてみる。それは夜の情報番組で当たり障りのないニュースが流れていた。今日も平和だなとかそんなことをぼんやりと考える。

 風呂上がりで濡れた栗色の長い髪の毛がドライヤーで乾かされる。時折、タオルで拭かれて櫛で梳かれていく。何でもないように暫くそれを受け入れて、桂華はがんっとテーブルに額をぶつけた。

「どうして化け物に髪の毛を乾かしてもらってるの!」
「その化け物っていう言い方を止めてくれないかね」

 抗議するも、ニャルラトホテプに「ほら、顔を上げる」と無理矢理に頭を持ち上げられてしまう。ちくしょうと呟きながら桂華は大人しくした。

 彼女の髪の毛を乾かしているのはニャルラトホテプという邪神だ。詳しくは知りたくないので聞いてはいないし、聞きたくもないので話すなと桂華は頼んでいる。ただ、化け物なので人間を操ったり誤魔化したり、狂わせたりするのは得意なのだという。

 長身で端正な顔立ちに襟足の長い黒髪、浅褐色の肌という女性が見れば見惚れるであろう容貌の男だ。けれど、今はそんな顔の良い人間の男に擬態しているが本来の姿は化け物である。一度だけ見たことがあるけれど、もう思い出したくはない。

 どうして彼がいるのか。それは何故だか知らないけれどニャルラトホテプに気に入られてしまったのだ。何処にと問えば、「幸運と強さ、その無知さ」と答えが返ってくる。それの何が良いのか理解できないけれど、彼はそこが良いらしい。

「まだ二十代前半なのに男と同居ってぇぇぇえ」

 そんなことよりも桂華はそこが気になっていた。恋人でもないのにと桂華は顔を覆う。彼と同居生活が始まって二週間が経つのだが生活ががらりと変わってしまった。

 部屋の掃除、洗濯、食事の準備、全部がニャルラトホテプの手によってこなされた。寝坊も頻繁だったというのに彼に起こされてしっかりと朝食を食べて出勤する。

 ニャルラトホテプの勤務先が駅前の喫茶店ということもあり、駅まで一緒に行くというのが毎日のローテーションとなっていた。

 健康的な生活なのだ。朝食べない、夜は弁当などで済ませるなんてよくあることだったというのに、健康的な暮らしをしたせいか体調が良いし、体重が減って肌艶も良くなった気がする。シャンプーなどもごっそり新調されていてその成果なのか、髪がサラサラで毛質が良くなった。

 仕事仲間から「月城さん最近調子良くない?」と聞かれる。これもあれもそれも全部、ニャルラトホテプのせいなのだ。彼が甲斐甲斐しく何故か世話を焼くせいでこうなっている。

「ダメ人間に調教されていく……」
「それ狙ってるからね」

 ニャルラトホテプは「ボク無しで生きていけないようにやっているから」とさらりと言った。こいつ、狙ってやがったと桂華は睨んだ。けれど、彼にそれは通用しないので笑われて終わる。

「キミがボク無しで生きれなくなってボクの狂気に染まってくれるのが楽しみだ」

 ニャルラトホテプは愉快そうに話す。そんなふうになってたまるかと桂華は思うのだが、ここまで世話をされると抜け出せない気がしなくもなかった。せめて、仕事だけはちゃんとやろうとそう固く誓った。

『続いてのニュースです。ここ数日、行波市——近辺で不審者の情報が出ています』

 地元の名前を聞いて桂華はニュースを観る。駅から繁華街を抜けた近辺で黒いローブを着た人物に襲われるという事件が起こっているらしい。

 今時、黒いローブってコスプレにしても他になにかあっただろうにと桂華は思う。三月に入って春先の暖かさになってきたから変質者も出やすくなったのかと。

 変な人間もいたもんだなと桂華がテレビを眺めていると、背後からくすくす笑う声がした。振り向けばニャルラトホテプが堪えるようにしながら笑っている。笑うならもっと大胆に笑えと思わず突っ込みたくなった。

「何、どうしたの」
「いや、馬鹿な人間もいたものだなと」

 それはなんだか不審者の行動を理解しているような言い方だったので、こいつに関係あることなのかと察する。

 他にも邪神やら化け物はいると言っていたので、それに関わる人間なのかもしれない。あるいは化け物か。

「この街、魔境か」
「まぁ、信者やら神話生物やら結構いるからね」

 田舎もそうだが、街中の方が紛れ込みやすいのだという。ニャルラトホテプは「ボクみたいに」と爽やかな笑みを見せた。

 引っ越したい、桂華はげんなりとテーブルに突っ伏す。利便性に惹かれてこの中心地を選んだというのに失敗した。後悔しても元には戻らないので溜息をつくしかない。

 髪の毛を乾かし終わったらしく、ニャルラトホテプはドライヤーを仕舞いに洗面所の方へと向かっていく。ついでにタオルも洗濯物にするのだろうと、桂華はそれをぼんやり目で追う。

 だらしなくテーブルに頬をつけていると眠たくなってきた。このまま寝てしまおうかと瞼を閉じる。

「寝るなよ」
「……くっそう」

 ニャルラトホテプに指摘されて桂華は渋々と顔を上げる。彼が隣に座ってきたので少しスペースを空けた。座りやすいだろうという配慮からなのだが、何故だかひっついてくるので意味をなさない。

「ちょ、ちょっと、くっつきすぎでしょっ」
「良いじゃないか、別に」

 ニャルラトホテプは「気に入っているのだから近くで顔を見たいのだ」と言う。

 顔の良い男にそう言われたのなら、女性はきっと頬を赤らめて喜ぶのだろうな。桂華だってちょっとは動揺する。恋愛に疎い自信しかないのだ、こうやってぐいぐい来られると、どうしたらいいのか分からなくなる、なるが堪え切れていた。相手が化け物であることを知っているからだ。

 ニャルラトホテプは桂華の反応が可笑しいのか、愉快そうに目を細めてその様子を眺めていた。本当に性格が悪いなこの男はと桂華は眉を寄せる。

「あーー、どうしてこんな男と同居してるのかなぁぁあぁ」
「なんだ、家事全般できる顔の良い男では満足できないか」
「自分で言うな、自分で。好きでもない男と一緒にいるってところを忘れないでくれる? てか、化け物でしょ」

 どんなに完璧な人間であろうとも、好きでもない男と一緒に暮らすというのはなかなか受け入れ難いものだ。それに相手は化け物なのだから。そう、そのはずなのだ。ちょっと動揺したけれど、それはそれだと桂華は自分に言い聞かせながら主張する。

「けれど、着実に調教できている気がするがな」

 そう、この男の家事スキルと甲斐甲斐しく世話を焼くのに桂華は敵わないのだ。

 じわりじわりと身体に染み込んできている、まだ二週間ほどだというのにだ。それは桂華自身も感じていたので危機感を覚えていたから、こうして嘆いている。

「もう嫌だぁあ」

 うおんと呻いて桂華は項垂れた。それを愉快そうに眺めていたニャルラトホテプは桂華の髪を弄る。

「桂華」
「何」
「暫く帰宅する時は気をつけろ」

 桂華が首を傾げれば、「変なことに巻き込まれたくはないだろう」と言われたので、これ以上のおかしなことには関わりたくはないなと素直に頷いておいた。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?