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ニャルさまは干物女子にお熱中―邪神に気に入られて歪んだ愛情を向けられる干物女子の非日常― 第三話

 いつものように事務業務を終えて桂華は会社を出た。今日は同僚に飲みに誘われて断ろうとしたけれどそれもできず、仕方なく、本当に仕方なくニャルラトホテプに連絡を入れた。

 この男は人間に擬態しているので職にもついているし、文明の利器であるパソコンもスマートフォンも使いこなしている。なんだ、あの化け物と突っ込んだのは言うまでもない。

 ニャルラトホテプは「気をつけて帰ってくるように」と返事を送ってきた。心配はしてくれている、そう心配はしているのだがその心配の仕方がおかしいのだ。

『怪異に捕まるのはいいけど、ボク以外で狂わないでくれよ。キミの狂った瞬間を見たいのだから』

 と、自分が見たいがために気をつけろと言うのだ。お前はなんなのだと桂華は思わず突っ込んだのだが効果は無い。帰ればまたあの男がいるのかとうんざりしながら駅から歩く。

 自宅は駅からほど近いマンションで、夜だけれどそれほど遠くはないので問題はない。お酒は飲んだが控えめにしておいたので意識は大丈夫だ。これで酔っていたらあの男に何を言われるか、考えるだけで頭が痛くなる。

 いつもの慣れ親しんだ夜の道を歩く。マンションの側には公園があって昼間は子供たちで賑やかだ。夜になればそんな面影は微塵もなく、しんと静まっている。そんな公園の前を通り過ぎようとした時だった。

「うわっ!」

 茂みから突然、何かが飛び出してきた。びっくりして見遣れば黒いローブに身を包んだ人間がそこに立っていた。ふらふらと身体を揺らしている。

「イァ……イァ……」

 男なのだろうかぶつぶつと呟いている。何を言っているのかは聞き取れなかった。明らかに異様な人物に桂華はそういえばと、ニュースのことを思い出した。もしかして、ローブの不審者というのはこの男のことなのではないかと。

 桂華は冷静に相手の出方を窺った、不審者ならば何をしでかすか分からない。刃物を持っているようには見えないが、隠している可能性もあったので油断はできなかった。

 ローブの男はぶつぶつと呟きながらにじり寄ってくる。それに合わせるようにゆっくりと桂華も下がっていく。

 にじりにじりと近寄っては下がって、睨み合うように両者は行動に移さない。まだぶつぶつと呟いているのと挙動が不自然なことから、変質者というよりは異常者ではないかと桂華は思った。

 ふと、呟きが止まったかと思うとローブの男の動きが変わった。

「あぁぁぁぁぁ!」

 男は呻きながら桂華に襲いかかってきた。異様に素早い動きに避けようと一歩、下がる——瞬間だ。

「ビュアアァァァアァ!」

 黒い何かが飛んできた。

 黒いゴム質ような肌、蛇のような胴体は絶え間なく捻れたりくねったりしている。コウモリのような大きな翼を広げてそれは現れた。名も知らぬ化け物が黒いローブの男を一瞥すると勢いよく突撃した。

 それをローブの男は何とか避けていたが、化け物をはっきりと認識してしまったようだ。

「うわぁぁぁぁぁああっ!」

 ローブの男はその化け物を視認して理解してしまった、この世ならざる存在であるということを。情けない悲鳴を上げて脱兎の如く逃げていき、残された桂華はその化け物を見つめていた。

 人間よりも大きいその化け物を見上げながら桂華は観察して言う。

「……見た目蛇っぽいけど、動きが芋虫っぽい身体してる」

 桂華はまたしても精神値の賽投げに成功してしまっていた。多少は怖いなと思ったけれど、そんなことよりもそのゴムみたいな身体が気になってしまったのだ。

 黒い化け物は暫く桂華を見ていたがすうっと飛んでいってしまう。あれはなんだったのだろうか、不思議に思いながら桂華は自宅へと帰った。

          ***

 鍵を開けてリビングへと向かうとニャルラトホテプが「大丈夫だったかい?」と聞いてくる。それはまるで先ほどのことを知っているかのようだった。

「え、なんで知っているの」
「配下をつけておいたからな」
「……あのゴムみたいな芋虫っぽい身体の化け物、あんたの部下かい!」
「キミ、見といてその反応って本当に運がいいね」

 ニャルラトホテプが「普通ならば恐怖するだろうに」と言うのだが、精神値の賽投げに成功してしまった桂華にはその恐怖は通用しなかった。

 もちろん、多少は怖いと思ったけれど今は平気だ。むしろ、ニャルラトホテプの部下であることを知ってろくな奴じゃないと思ったぐらいだった。

 ぶつぶつと文句を言いながら桂華はリビングを通って寝室の方へと向かう。荷物を置いてクローゼットから部屋着を取り出して着替えた。この部屋着もニャルラトホテプが勝手に通販したものだった。

『そのジャージ姿はダメだよ』

 干物女子に磨きかかってどうするの。そう言われては何も言い返せず、仕方なく、そう仕方なく受け取ったのだ。

 モノトーンで統一された部屋着は桂華によく似合っていった。ハーフパンツなので足が見えるのは嫌なのだが寝巻きと思えばいいと言い聞かせている。

 寝室を出て桂華はお風呂に入ってさっさと寝ようと思った。不審者に襲われるわ、化け物を見るわで今日は良いことがない。桂華はさっさと風呂場へと向かった。

 今日はシャワーだけにしよう、身体と髪を洗って流しすだけで早く済む。そうやってシャワーに手をかけてふと、シャンプーボトルに目がいく。

 そういえばどこのメーカーのシャンプーなんだろうかと思い、ボトルを掴んで見遣る。よく分からないロゴしか書かれておらず、見かけたことがないもので桂華は首を傾げた。

 風呂から上がってリビングへと向かう。ぐてっとテーブルに突っ伏せば、ニャルラトホテプがドライヤーとタオルを持ってやってきた。

「自分でできるけど」
「キミ、そう言って乾かさないで寝るだろう」

 桂華は黙った、乾かさないで寝るということはよくあることだった。特に忙しい時期になるとそれが日常的になっていたこともある。しかし、彼に何もかも介護されるのは嫌だと思いつつ、抵抗を試みようとする。

「はい、動かない」

 と、捕まってしまいそれも失敗に終わった。このまま甲斐甲斐しく世話をされて生きていくのかと思うと、桂華は少なからず恐怖を覚える。何もできなくなったらどうしようかと。だから強い意志で「大丈夫だ」と言い聞かせた。

「大人しくしていればすぐ終わる」
「お前がいなくったって生きていけるからなぁぁ」
「どうだろうね?」

 ニャルラトホテプは「だいぶ、浸透させた気がするけど」と笑う。それに桂華は「そんなことはない、はず」と言い返す。

 そうまだ、二週間だ。それぐらいしか経っていない。頑張って抵抗していけばいいのだとそう心に決める。そんな桂華の様子をニャルラトホテプはおかしそうに眺めていた。

「あの化け物、何?」
「狩り立てる恐怖、または狩人。ボクの配下だ」

 狩り立てる恐怖はニャルラトホテプの猟犬として配下になっている。けれど、人間でも従属させることができる生き物だ。知性を持つ存在の血の生贄を差し出せばいい。

 そんなものを用意できる人間はそういないので、人間で扱っている者がいるとすれば気の狂った魔術師だ。

「ボクの猟犬は忠実だからね。ただ、難点なのは命令を簡潔にしないといけないことだ」

 〝桂華を守れ〟ではなく、〝桂華を襲おうとする存在を追い払え〟と簡潔にはっきりさせないといけない。融通が利かないらしく、ニャルラトホテプは「飛ばしておいて良かった」と笑む。

「案の定、キミの反応はおかしいね」
「見えるの!」
「見ようと思えば見えるさ」

 キミが何処にいようとも覗き見ることはできる。だから、危険を予測して迎えに行くこともできるし、それを潰すこともできるのだが今回は配下を見た反応を眺めたかったから送ったと、ニャルラトホテプはそれはそれは爽やかに微笑んだ。

 こいつは楽しんでいると理解して、桂華は「その顔で微笑んでも許さない」と睨んだ。

 ただ、そういう態度を取ってもこの男には通用しないのだ。ニャルラトホテプは涼しい顔をしている。これも楽しんでいる、この男は。はぁと溜息を吐いて桂華は話を変えることにした。

「そういえばさ、あのシャンプーとかってどこのメーカーよ」
「あぁ、あれはオーダーメイドだ」

 自身の髪質に合わせて調合してくれるというやつかと桂華は思い当たる。確か、同僚がオーダーメイドでやってもらったと自慢していた。にしてもよく髪質わかったなと思いながらなんとなしに聞く。

「どこの?」
「秘密」
「……おい」
「なんだ」
「調合してるの人間じゃないな?」

 桂華の質問にニャルラトホテプは笑みを浮かべるだけだ。それだけで肯定していることが分かるので、ふざけんなと桂華は怒る。

「何、怖いもの使わせてるの!」
「大丈夫だ、身体に影響はない」
「そういう問題じゃあないんだよなー!」

 人間が作っていないという時点で問題があるのだ。どんな成分が入っているのかわからないものを使っていると知って背筋が冷える。

「でも、怖がってないよね」
「あんたで慣れてきているからだよ!」

 桂華はまたしても精神値の賽投げに勝利してしまっていた。


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