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このままでは、あなたの文章は価値を持たない

文の価値は地に落ちた。

かつて、大衆娯楽であった小説や情報収集の最たる手段であった新聞はその座をテレビに半分を明け渡し、ITの急速な発展により各々の手で青白く光るスマホがそれをまるごと奪い去った。

そのあまりに便利なシロモノは、既存の必須を一身に纏う。YouTubeやソーシャルゲームに代表される娯楽はもちろんのこと、政治や経済、世界情勢を知るのももっぱらアプリ。現代人にとって、小説や新聞を読むという行為はもはや非効率的でムダなのだ。

電話にメール、ネットサーフィンまでその小さな身体で担ってしまう。こんな便利なものを、使わないテはない。ぼくのnoteの執筆はもっぱらスマホだ。

ここで、全noteユーザーに問う。

今、執筆することの意味はなんだ。

ちらりと読んだ記事に「書くことを目的としてはいけない。伝えるために書くのだ」という旨の内容が、非常に読みやすい平易な文体で書かれてあった。それはユーザーの共感を呼んだのか、いいねは数百に上っていた。

これは、執筆するものの共通のテーゼだ。独りよがりな文章なんて誰も読みはしない。まずは伝えることが大切だ、と。

ぼくはこれを真っ向から否定させていただく。

先に述べたスマートフォンの普及や動画サイトの台頭により大衆が活字を離れてしまった原因とは、なんてことはない。そうすることが最善だったからだ。

特筆すべきはYouTubeだ。一覧に並ぶ数多もの動画にきらりと光るサムネイル。開いてみればどれも目を見張るほど面白いものばかり。

なら内容が陳腐かといえば、そうではない。膨大な再生数を誇るトップYouTuberの作成する動画は非常にわかりやすく面白い。構成や細部のデザイン、テロップに至るまで全て視聴者が直感的に面白いと感じることができる。

教育系YouTuberなるものも登場し、動画媒体である強みを活かして巧みな話術とテロップで視聴者を勉学へと誘う。これはもはや娯楽ではない。勉学へ向くニガテを解きほぐし、軽快な音楽やオーバーなリアクションで楽しみを擦り込んで、ついには得意にしてしまう。まるで魔法だ。

全noteユーザーに、再度問う。

伝わりやすく平易な文章が、理解の容易さというその点に於いて、動画に勝ることはあるのか。

大ベストセラー作家、村上春樹の文体は非常に美しく、平易で読みやすい。影響を受けた作家は数知れず、無論このサイトで執筆するユーザーのなかにもごまんと存在することだろう。

その村上春樹の小説を、活字離れした今の若者がYouTubeよりも優先して読むことがあるだろうか。おそらく、半数以上はYouTubeの視聴を優先するだろう。理由は簡単だ。動画のほうがわかりやすくて面白いからだ。デジタルネイティブの中高生ならなおさらだ。

いやいや、私は村上春樹読みますよという若者がいたとするならば、ここで問おう。

なぜ、動画より文章を選んだのか。

きっとこう答えることだろう。

好きだから、と。

この場合、作家村上春樹が好きだからというものと、単に読書が動画視聴より好きだからという二つのケースが考えられるが、後者は論ずるに値しない。なぜなら、読書そのものに好意的な人は常に一定数存在するので、固定の存在を今さら論ずる必要はないからである。

前者は、村上春樹という作家の創り出す小説という作品に惹かれている。結句、文章とはそれそのものに特有の魅力がなくてはならない。村上春樹が売れるのは、文体が平易なだけではなく、文体と内容が魅力的だからだ。

平易な文体であることが魅力ではない。魅力的な文体が、たまたま平易だっただけなのだ。

事実、過去の文豪たちはその文体に特有の魅力を宿している。平易な作家もいれば悪文と評される作家もいるが、それは全て魅力が読者を呼び、ひっぱっている。

文章が価値を持つには、文章でしかありえない魅力を内包する必要がある。魅力を持たせるためならば、よくネット記事ではご法度とされているどんな難読漢字を使っても構わないと思っている。むやみやたらに使うのではなく、あくまでも文体の魅力を引きだすアクセントとしての話だが。

とどのつまり、文章でなにかを伝えようとしているぼくも含めた99%の執筆者はただのナマケモノなのだ。今の時代、伝えたいことがあるのなら、文章ではなく動画で伝えるのが一番だ。動画編集のスキルを磨こうともせず、なんの気なしに惰性で習った言葉を紡いで伝えた気になっているだけなのだ。

甘えるのも大概にしろ。

現状、伝えるという点に於いて完全上位互換である動画にはない、文章だけの魅力を内包した文章を執筆するには、並大抵の努力では追いつかない。日々悩み、書いては悩み、読んでは悩み、それでも辿り着けるのはひと握りという境地である。

そんな境地に興味はない、勝手に楽しんでいるのです、という人はそれでも構わない。ぼくだって、好き勝手にやっている。どんな誹謗中傷だって受けて立つ。

ただし、この文章も、あなたの文章も、全ては動画の劣化品だ。

お忘れなきよう。

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