見出し画像

2年ぶりに陸上競技、復帰します。

先月、今年度の陸上競技連盟の選手登録の手続きが終了した。
陸上競技連盟に選手登録している人は、毎年新しい選手番号が更新され、公認大会で公認記録というものが残る。
公認大会で基準の公認記録を満たさなければ出れない大会などに出る為や陸連の選手登録者枠で、よりスタートラインに近い場所から走る権利を得るための……
今まではそんな大切な記録を残すためだけ選手登録だった。
……
2022年、公認大会である、京都マラソンで「3:25:19」という、女子で言うとランナーの上位3.1%に入る、「サブ3.5」という公認記録を残したあと、走れなくなった。周りからみたら「上位3.1%なんて凄い!!!」と思われるかもしれない。
周りの同じチームの女性ランナーは半分以上が「サブ3」をきっている。
周りからかけられたのは、「お前なら3時間きれると思った。」「ちょっと期待してたのに残念だよ〜」……


そんなことを言われるのはその大会が初めてではない。
色んな大会で「1番」を沢山とった結果だった。
もちろん、「よく頑張ったね!」と言ってくれる人もいた。だけど大半は「あともう少しだったのに〜」などの期待はずれだという声だった。
「私、もう人のために走れない。」心からそう思った。
その翌月の3000mのトラックレースを本番直前に棄権した。疲労骨折しても、肉離れしても絶対に棄権しなかったのに……。フルマラソンも必ず完走していた私が、初めて「陸上競技大会」を棄権した。
競技場のトラックレースを見た瞬間に思い浮かんだのは「3000mを00:11:00以内に走らないと。」という数字と重いプレッシャー。
正直いってコンディションは悪くなかった。ただ漠然と「記録と周りの価値観や期待に縛られている自分」が嫌で、初めて「記録を達成できなかった時に浴びせられるであろう声」を想像した瞬間、「走る目的」が分からなくなった。
「このままの気持ちでこのレースを走ればきっと私はもう一生陸上競技に戻ることはないだろう。このレースが最後になるだろう。」そう確信し、棄権した。
それ以降、現在までほとんど走っていない。
……
中高は6年間吹奏楽部。
昔から持久走は1着だった。
シャトルランはいつも最後まで残った。
学生時代は「走ることは私の特技かも。」と思っていた。何より、負けず嫌いで自分をとことん追い詰められる性格はこの競技にとっては何より大切なことだった。風をきって誰よりも先にゴールすることが何より嬉しくて、「走る」という行動が楽しくて仕方がなかった。
テストでも持久走でも何でも1番になれば幸せな気分になれると思っていた。
走るのは苦しいけどそれを超えた先を見れた景色はまさに絶景で「走る」のがもっと大好きになった。

社会人になって、お昼休みに健康管理のために走っている先輩に誘われて一緒に走ることになった。
……
その頃は「走るのが好きだから楽しいという気持ちを感じるために。」というのが私の「走る目的」だった。
そこから、トントン拍子にタイムが速くなって、社内駅伝のチームに誘われ、憧れだったあの先輩も、あの人も……ずっと遠くの存在だと思っていたチームで1番走るのが速かったあのキャプテンも……
超えてしまった。超えたかったはずなのに。
「楽しい!」と思ってがむしゃらに、走っていたら、気づいた時にはもう1人では降りられない高い高いところにいた。
有難いことに現在、陸連登録させてもらっているチームにはスカウトして頂いた。
これは自慢なんかじゃない。自分史上過去最悪の屈辱。周りから見ても自分から見てもプレッシャーに耐えきれず潰れた弱い選手。
私のチームには、沢山の「1番」を取ってきた人がいる。みんな口を揃えて言っていた、期待されることも、「1番」を取れるという事は実はとても苦しいと。
いつのまにか、会社の女子チームで1番速いタイムで走るようになっていた。
とにかく走ることで1番になれば「自分の望んでいる幸せ」がそこに待っていると思っていた。
「1番」になって待っていたのは「痛いほどのまわりからの視線」、「勝手な期待」、「プレッシャー」だった。
まるで競走馬にでもなった気分だった。
練習では常に私が先頭を走っていた。ほかのメンバーのペースメーカーはいくらでも出来るが、私のペースメーカーは私より先頭を走らないといけないため私必然的にわたしより速い人でないといけなかった。私のペースメーカーをしてくれる女子選手はもちろんいなかった。私のペースメーカーはもう女性ですらない、男性コーチだった。女子駅伝で男子である前に、コーチである人を走らせてしまうなんてとっても申し訳なかった。
いっそのこと、わざと遅く、後ろの方を走ればもう期待なんてされなくてプレッシャーから解放されて楽になれるかもなんて考えた。
……
その少し前に会社上層部社員から直々に言われた言葉。
「貴方は私たちの部署の希望の星です。今年度こそ!3位以内の入賞を期待しています!!」
その言葉が頭からこびりついて、妥協という選択肢を自ら奪った。
そもそも私が手を抜くことは努力しているみんなにも失礼だ。
駅伝は個人戦じゃない。チームの団結力がとても大切だ。みんな全力で最高な仲間だ。それは今も変わらない。
私は社内駅伝でアンカーだった。
「このチームをどうにか3位以内に上げないと。」
それしか頭になかった。
私にタスキが渡った時はチームは5位。
「2人抜かないと。」
タスキを最後までゴールに持っていかなければみんなの努力が無駄になる。
結果は、全力で2人抜いて、「周りの期待通りの入賞3位」。
区間賞はとれたが、ベストタイムではなかった。
走り終わって、みんなが「私のおかげで入賞できた。」と口々に言ってくれた。
でもそれは違う。全力で否定した。アンカーの私に繋がるまでにみんなが必死に全力で走ってくれた結果がこれなのに、まるで全てが私の手柄のようになってしまうのがとてつもなく嫌だった。
みんなで勝ち取った勝利さえも分かち合えないのか。「この大会は会社のために走った。」
「あの大会はチームの全体評価を上げるために。」
そこに、「達成感」はあったものの、「楽しい!」なんて気持ちは全くもってなかった。区間賞の金メダルも、ほかの大会でとった優勝トロフィーさえも嬉しく感じなかった。ただ、「周りの期待通りの結果を得られた安堵」しか残らなかった。
……
合宿や飲み会でよく話す先輩に、ほとんどの大会を総ナメしている先輩がいた。
陸上業界ではとっても有名だった。
「走っていて、プレッシャーとか期待とか辛くないですか?」先輩にそう聞いたことがある。
先輩は「辛いよ、でもそういうもんだよ。上を目指すっていうことは必ず期待が着いてくるから。」って言いながら何年も大会を連覇していた。
その人は全ての期待やプレッシャーを受けいれる覚悟を持って走っていた。
私もそんな選手になりたいと思った。

楽しく走りたいなら、「選手登録辞めよう」と思った。
「完全アマチュアで気持ちよく走ればいいじゃん。」と思った。
走るのを心から楽しいと感じたのは「心から全力で走った時」だけだった。

また選手登録して、一競技者として、テッペンを取り返したくなった。

今度は周りの期待やプレッシャーなんて全て受け入れて、あの先輩みたいに覚悟を持って走ろうって思って、競技を再開することにした。

今度1番をとった時は心の底から笑えそうだ。
今度は「人のため」ではなく「心から喜べる1番を取るため」に走ります。
それが結果的に、「チームのため、周りの人のためになるのでは」と信じています。

もう二度と記録を残すためだけの選手登録にしないように。

そういう覚悟をもって、復帰します。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?