大学時代は地獄だったなー


おはようございます。
いかがお過ごしでしょうか
金沢市はめちゃ快晴で干からびそうなくらいの暑さであります。
はてさて、毒親育ち年表は確か高校時代までは書いたかと思われます。
高校時代は進路に悩み、最終的には管理栄養士を目指そうと思い、とある県外の某私立の4年制大学の食物栄養科に進学しました。
寮もありましたが、寮の規則に縛られたくは無く、近くのアパートを借りて初の一人暮らしを始めました。
やはり一人暮らし、快適でしたがまだ毒親育ちの自覚は無く、たまにホームシックなったりしてました。
大学時代は最初は楽しかったものの、学科は食物栄養科と言う事もあり、ほぼ女の園でした。
そこから知り合い増えて嬉しかったものの、愛情に飢えてる自覚は無く、今思えば無意識に母親を同級生に求めていてやはり依存し過ぎていたなと思います。
同級生達グループは次第に素っ気無くなり、終いには多勢で絶縁を言い渡され、立ち直れるまでかなり時間、かかりました。
確かにこれは堪えました、お互い様とはいえ。
それがきっかけになったのか分からないですが、大学2年で学科についていけなくなったのもあり、朝は起きられなくなり、ついには不登校になりました。
ほんとはその時に辞めても良かったのですが、辞めるのが怖く結局4年生まで籍だけ置いてましたが4年生で中退しました。
 ちなみに中退するまでは生活リズムは昼夜逆転しており、夜は眠れない為微量とはいえたまに寝酒(良い子は真似しちゃ駄目)してました。
ちなみに寝酒を勧めたのは父親でした。
今冷静になるとそれにぞっとします。

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