2024.5①

今年に入ってから、色々な出来事が飛び交い、動き出し
信号機の壊れた交差点のような時間が過ぎている。
フリーで動いている私としては、有難い事ではあって
去年の暇っぷりに比べると、全然サラリーマンの頃と同等なくらいには働いている気がする。
まぁそれに伴う成果みたいなものは、これから追って付いて来てくれるんだろうと、ささやかに思ったりしている。
「自分はまだ死なないとでも思っているのか?」と少年週刊誌に問いかけられた少年は今正にその問題と対峙することになるとは思いもしなかった。
否、つまりこれは死活問題だ!

ただ、そればかりに捉われ過ぎないようには生きていたい。
今となってはもうささやかとでは言い表せられないほど弱々しい力だけれども
鍛錬を怠らず、塞ぎ込み過ぎずに生活をして
成果を上げていきたいと思う。

先日、観に行ったDIANA KRALLのライブがとても良過ぎて
今までの音楽感をひっくり返してしまった。
ロックやポップスのようなジャンル、心躍らせるようなメロディーや歌詞などとは全く異なった次元の「音楽」そのものだった、とあの日の私はとても興奮した。
いうなればjazzに分類される楽曲で、もちろん歌詞やMCは全く分からなったけれど、とても興奮した。
あの日大阪フェスティバルホールで鳴らされたこれが音楽だと。
一番驚いた事、それは「観客の拍手のデカさ」だった。

それは熱烈なファンの狂信的なものとかではなく
あれだけ「ハッキリと粒立ちのいい音とダイナミクスが会場中に響き渡っていた」のにも関わらず、曲が終わった瞬間にすくみ上がってしまうほどの拍手の音が会場を埋め尽くした。
つまりそれだけの充足感のある音圧を、とても僅かな音量で奏でていたということ。
演者、音響の卓越した技術に他ならない。少なくとも自分は余りあるほどの質量をずっと感じていた。
ステージに向けられた耳や脳の集中は、計り知れない。

それを経た私は今、絶賛DIANA KRALLに影響されている。
先日のSecond RoomsとDEWEYでは、あの日観た衝撃を体現しようと試みた。
自身の感覚としては、今まで感じたことのない空間を体感している。
自分が音楽になる、という感覚を今大変求めている。
マイクに声を通すではなく、マイクが私を拾っているという感覚。
とても良い感じじゃないかしらと思っている。

来週のsomeno公演では、増して良いライブにしたい。
あと5文字で完成する曲が詰めきれない。。。

過去何度も繰り返した分かった気がしてきたZE☆フェーズ。
その度に迷って忘れて、また探すの連続であったけれど、
今回も自分のマイルストーンとなった事をここに残しておく。
半年後、覚えていらっしゃるのでしょうか、この鶏頭は。

5月26日。

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