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"質より量"なこともある

脱・完璧主義をかかげて
とりあえずやってみなはれやの精神を導入
100か0かじゃなくて
0よりは1の方がいいよね?
ってことで久しぶりに書道にも向き合っていきましょうと気合を入れたのが先週末

ダメなところばかりが目について

週に一回、
一時間程度はちゃんと書く時間を設けると決め、
今日がその一回目

学生の頃は時間の自由が効いたのもあって
気の済むまで、出来るまで
もしくは飽きるまで書くってのが当たり前
でも仕事をし始めるとなかなかそうもいかないのが現実
でも0より1
だからやっただけで十分偉い

はずなのに、
1ができると2、その次は3…
ってどうしても多くを望んでしまう

限られた時間の中で一つのことに取り組むと
気の済むまで出来るとは限らないし、
出来るようになるかもわからない、
ましてや飽きがくる前に終わらなきゃいけないこともあって
そうするとどうしても出来なかったことばかりに目がいってしまう
やり切って、自分でできるところは改善して
それでもダメだったら
(次はここをもっと上手くやりたいな)
って前向きに考えられるけど、
もう少しやれば上手くできるとわかっていながらやめなきゃいけないとなると
どうしてもダメなところが記憶を占領してしまう


"質より量"で褒める

これ、今日書いたやつ
一枚一枚と向き合うと粗が目立つけど
複数枚並べてしまえば不思議とよくわからなくなる

もちろんちゃんと見ればまたその粗たちは浮かび上がってくるけれど。

でもこうやって並べれば
(今日のあの一時間でこれだけ書いたのかぁ)
(我ながらえらいぞ、よくやった)
(褒めてつかわそう)
みたいな気持ちになれるものなのね

量より質ならぬ、質より量
質で褒められない時は、量で褒めてあげとく
そうすればやったこと自体はポジティブな記憶として保存しておける

終わりよければすべてよし
ポジティブな記憶は次に繋がる
また次やる時はダメなところばかりに目がいって
テンション下がるかもだけど
そうなれば量で褒めてあげるだけ

今日は「量で褒めて慰める」の技を思い出せただけで合格点
そういうことにしておいた方が楽しいじゃない

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