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僕の人生(小学生編)

 最初に言います。長くなると思うので本当に時間がある人だけ見てください笑!面白い事は書いてないので自己紹介の延長線だと思って見てください笑

 僕は、小学校時代どんな生活を送っていたのか、どのような想いで過ごしてきたのか、を思い出しながら書いていきたいと思います。

 
 僕は長崎のど田舎で生まれました。どのくらい田舎なのか。小学校、中学校とクラスメイトが9年間同じでした。これって中々ないですよね笑それに合わせて、よく猪や猿もよく出現していました。そのくらい田舎の中で育ちました。

 では、その田舎で何をしてきたのか。

 1つだけ自信をもって言える事があります。

 それは「サッカー」です。

 物心がついた時から僕は、サッカーボールを触っていました。父と一緒にリビングや廊下で遊んでいたのを今でも鮮明に覚えています。皆さんも分かると思いますが、何故始めたのかというより、いつの間にかやってた人が多いのではないでしょうか。どちらにせよ、そのような経緯でサッカーという競技に触れ始めました。

 小学校に入学すると同時に、町クラブのサッカーチームに入団しました。それも保育園で仲が良かった3人と一緒に、です。その頃は純粋にサッカーを楽しんでいました。何が楽しかったのか。得点を決める、テクニックを披露して相手を翻弄する。などなど、目に見える結果にしがみつき楽しんでいたと思います。

 話は変わるのですが、私には2人の姉がいます。5歳差、7歳差と結構離れています。僕が小学校1年生の時、次女は小学校6年生でした。環境が味方してくれたのか分かりませんが、休み時間になると6年生の先輩達が良く僕を可愛がってくれていました。あだ名は「大ちゃん」。昼休みも、「大ちゃん一緒にサッカーしようよ!!」と誘われ、毎日6年生の中に1年生が1人混ざってサッカーをやっていました。

今思うと妙な光景ですよね。笑笑

 
 でも、その環境のおかげで技術も身につきました。そして、年上の人と接するという事も、知らない内に身につき、目上の人とコミュニケーションをとる事が得意になりました。得意になったというより、自然にできるようになった、が正しいですかね。

  
 6年生が卒業すると僕は何をしようかと考えました。もちろん、サッカーをしたかったのですが、前文で述べた通り田舎の学校なのでサッカーをしたい人もクラスではあまりいませんでした。3年生までは様々な昼休み生活を送りました。

 例えば、こま回し、将棋、トランプ、鬼ごっこ、けいドロ、ドッチボールなどなど。。
(こま回しは結構上手いですよ)

 でも、僕はやっぱりサッカーがやりたかったのでクラスの男子に呼びかけサッカーをやり始めました。4年生になる頃には、クラスの男子8割がサッカーを昼休みにするようになりました。それも皆んな自発的に動いていました。給食の合掌の合図と共に、みんな一斉にグランドに走り出していました笑

 これって冷静に考えてすごい事ですよね。1つのスポーツでこの様に行動をとる事ができる。1つの成長かなとも思います。時間いっぱいサッカーがしたい。その為には、給食を早く準備する。給食を早く食べる。グランドに走って行く。誰もが考えている事だと思うのですが、実はこのアルゴリズムが今の時代とても大事だなと思い始めました。←この話は今度。

  
 長々と話してきましたが、これまではごく普通な毎日を過ごしてきました。学校に行く。昼休みもサッカーをする。放課後、クラブチームでサッカーをする。毎日変化のない時間を送っていました。

ここで1つ疑問がでてきました。

それは、「なぜサッカーをやっているのか」。

 答えは「プロになって日本代表になる為」です。

 クラブチームではキャプテン、10番でした。チームの中でも中心的な存在でした。毎日、プロになりたいと思い家でもボールを蹴る。放課後も公園で1人でボールを触っていました。どのくらい触っていたかと言うと、目に見える数字で言うとリフティング1000回、目に見えないものだと公園に生えてるいる草を敵と思い込みドリブル練習する。だいぶやばいですよね笑笑
 ですが、大会に出れば、自分より圧倒的に上手い人達はたくさんいました。僕は徐々にその人達と一緒にサッカーがしたいと考える様になり、小学校での1番の決断をします。

それは「移籍すること」です。

 カッコつけて移籍なんて言葉使っていますが、僕の中では移籍という言葉が1番表現出来るかと思います。

 結論から言うと移籍をしました。移籍したのは市内、県内でもそこそこ有名なチームでした。そこに移籍した理由は、バーモントカップというフットサルの大会でそのチームを見た時に、衝撃を受けたからです。

 そのチームは1人1人が個人技を披露し、自分を最大限に表現していました。僕自身、昼休みのサッカーでは自分を最大限に表現できていたが、クラブに戻ると、プレースタイルが変わる。こんな自分が嫌でした。だから、そのチームを見た時は心打たれ直ぐに練習会に行きました。

 その練習会では自分の今までの技術の低さに驚かされました。「みんな上手い」。これが第一印象です。それに加え、当時5年生だった僕は緊張していました。だが、1人の丸坊主が僕に声をかけてきました。

 5年生?チーム入りなよ!!と。
この瞬間、僕は隣に居た父と目を合わせて大きく首を縦に振りました。1番の決め手はこの言葉でした。この時、言葉の力って凄いんだなと感じました。この時から無意識の内に、環境を選ぶ際は人を重要視するようになったと思います。

 そのチームに入り、全体的に人数が少ないという事もあり、直ぐに試合に出させて頂きました。とりあえず、毎週試合する。これが僕にとっての刺激的な毎日でした。前所属チームでは試合が極端に少なかったのです。だから、本当に楽しかったし、試合で何をしても怒られなかった。むしろテクニックを披露しないと怒られる。なんともクリエイティブなチームなのか。

 そして、そこで学んだテクニックを学校に持ち帰り、昼休みに実践してみる。これがのちの自分のサッカー感の土台を作りました。

協力してくれた幼馴染ありがとう!笑笑

 小学校では、そのようなサッカー人生を送りました。小学生にしては様々な経験をしたと思います。市内では1番上手いと正直思っていました笑。今思うと恥ずかしい笑
 それでも自分自身、チームを移籍して格段に上手くなったと感じていましたし、試合中の心の余裕もできた。それに伴い、先輩達のテクニックを盗む観察力、そしてそれを実践する。この流れが物事を進める事に置いて基本だと思うようになりました。僕は小学生でこの流れを、サッカーを通して学びました。

 結果として、小学校でサッカーを始めて良かったです。中学校でも色々なストーリーがあります。それは次回お話します。こんな僕の小学校物語を、読んでくれてありがとうございます。少しでも皆さんの暇つぶしになればと思います。

それでは、また次回。