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〈百年文庫〉91から100の間で

 〈百年文庫〉というシリーズが、かつて刊行されていました。
  https://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/

 私はこのシリーズの佇まいとコンセプトにいたく惹かれ、コツコツ買い集めました。
 とはいえ、当然ながら100冊ぜんぶが好みというわけではなく。
 読み返しながら、10冊ごとに好みの作品を書き留めていきたいと思います。
 なお、今回は後ろから読み返しています。


 91から100まで

91「朴」
 木山捷平『耳かき抄』 新美南吉『嘘』 中村地平『南方郵信』
92「泪」
 深沢七郎『おくま嘘歌』 島尾ミホ『洗骨』 色川武大『連笑』
93「転」
 コリンズ『黒い小屋』 アラルコン『割符帳』 リール『神様、お慈悲を!』
94「銀」
 堀田善衞『鶴のいた庭』 小山いと子『石段』 川崎長太郎『兄の立場』
95「架」
 火野葦平『伝説』 ルゴーネス『火の雨』 吉村 昭『少女架刑』
96「純」
 武者小路実篤『馬鹿一』 高村光太郎『山の雪』 宇野千代『八重山の雪』
97「惜」
 宇野浩二『枯木のある風景』 松永延造『ラ氏の笛』 洲之内徹『赤まんま忌』
98「雲」
 トーマス・マン『幸福への意志』 ローデンバック『肖像の一生』 ヤコブセン『フェーンス夫人』
99「道」
 今 東光『清貧の賦』 北村透谷『星夜』 田宮虎彦『霧の中』
100「朝」
 田山花袋『朝』 李 孝石『そばの花咲く頃』 伊藤永之介『鶯』


92「泪」

島尾ミホ『洗骨』
 夫・島尾敏雄(私と同じ誕生日)にひどく苦しめられた妻、という印象が強かったのに、作品があまりに穏やかで温かで素晴らしく、感嘆のため息が出る。


95「架」

ルゴーネス『火の雨』
 〈火の雨〉が降る終末。富める者にも貧しき者にも、等しく火の雨は降る。けれど、富める者だけが死に方を選べたことは、なんて皮肉なのだろう。天災による迫り来る死を、自らの意思で見届けるためには、頑強な屋根と豊富な食料がなければならない。つまり、結局富める者であるのだと思い知る。

吉村 昭『少女架刑』
 タイトルからゴシックロマンスの類だと思い込んでいたので、読んで驚いてしまった。少女そのひとは心身ともに無垢であっても、生きていても死んでいても、はした金と引き換えに肉体を衆目に晒されてしまう痛ましさ。肉を削がれ、残る骨すらもバラバラになった後、少女の魂はどこに宿るのだろう。


96「純」

武者小路実篤『馬鹿一』
 思うままに、迷いなく生きる〈馬鹿一〉がこころよいのはもちろん、語り手を含む周りの視線が意外とやさしいのが、とても好き。もうひとつ面白いのが、〈馬鹿一〉の根底にキリスト教の感覚があること。キリスト教に限らず、唯一神ではなく自然すべてを「畏怖すべきもの」とでもしそうなのに。人間が「美」を見出してこその自然と見做しているのだろうか。

高村光太郎『山の雪』
 ただ静かな山の生活を愛し、ただ雪の美しさを愛しているだけなのに、どうしてこうも清々しく思えるのか。その理由に、かなの多い文章だから、ということもある気がしている。どこか子どものような視点が愛おしいのだと。

宇野千代『八重山の雪』
 相手が〈異人さん〉であったがために、引き裂かれる夫婦の哀しさ。それと同時に、この作品を美しくしているのは、相手が〈異人さん〉だからこそだと思っている。この地にしがらみがなく、辿々しい日本語で喋る彼に、一方的な「純粋さ」を覚えてしまうと、より一層悲劇の度合いは強くなる。


 アンソロジーにはよき出会いがあると、しみじみ感じます。

 残りはあと90冊。

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