![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36099096/rectangle_large_type_2_0d10782471b1bdb4f97cf85378141697.jpg?width=1200)
未来は…
先日3週間にわたる教育実習を終えた。
想像を絶する3週間だった。
初めての授業。
2日前に「明日の保健の授業やってみろ」と担当の教師に無茶振りを受け、何もわからないまま授業作りを始めた。
もちろん高校の時には保健の授業をまともに聞いた覚えはないし、保健に対する知識は皆無に近い。
ただ教師とは知らなかったものも、あたかも知っていたかのように話すことが仕事であり決して生徒に弱みを見せてはいけない。
そんなイメージがあった私は丸一日かけてあらゆるネットワークを駆使して情報を集め知識を頭の中に取り込んだ。
そして授業当日。
昨日調べた知識をあたかも昔から知っていたかのように流暢に喋り、生徒に対して熱弁を続けた。
そして用意していた授業内容が終えた。
時計を見た。
15分余った。
そこからの記憶はほとんどない。
15分棒立ちで教壇に立っていた。
生徒も唖然としていた。
担当の教師が割って入り何やら説明していた。
何を喋っていたかは覚えていないが私の尻拭いをしてくれていたのは覚えている。
一日にして私の理想としていた実習生活が終わりを告げた。
それからの日々は過酷だった。
指導案を持っていけばやり直し。
授業をすれば担当教師との反省会が長々と繰り広げられる。
何事も最初が肝心。
自転車と同じ。
スピードをつけ、ペダルを漕ぎ、風に乗り、前に進む。
出鼻をくじかれた私は自転車に乗れないままだった。
ある日から私は自転車に乗るのをやめた。
失敗を振り返り何がダメだったかを考え次の授業へと活かす。
地道な作業を続けた。
いきなり自転車に乗ろうとしていた私が間違いだった。
大学生である若僧が、何年も務めていてる教師のように振る舞うこと自体がナンセンスだった。
まずは地に足をつけ歩くことから始めようと決めた。
人間というのは、初めは誰しもが「立って、転び、何かに掴まり、また立ち上がり、そして歩き始める」を繰り返して成長するものだと改めて気付かされた。
授業をしては振り返り、他の授業に見学に行くなど私にできる全てのことはやった。
最後の週には中々の手応えを感じれるようになった。
生徒の表情を見ても分かる。
そして一番変わったのは自分に自信がついた。
自信をつけるのに長く時間がかかった。
かなりの遠回りをした。
遠回りをした人生にしか咲かない花もあるだろう。
教育実習を通し、「仕事」というものは全てにおいて失敗を経て成長していくものだと身を持って経験することができた。
「仕事」というよりも「人生」そのものがそうなのかもしれない。
将来、教師になるかは分からない。
けどもし、教師になった時には次こそは自転車に乗れるようになっているだろうか。
未来は…俺らの手の中に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?