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拝啓 サッカーを愛した私へ

先日、現役サッカー選手を引退した。

3歳から続いたサッカー選手人生に幕を閉じた。

小学校の卒業文集に書いた「プロサッカー選手になりたい」という夢を追いかけ続け、止まることなくここまで走り続けた。

その夢は叶うことなく終えた。




サッカーを始めたきっかけは兄の影響。

物心がついた3歳の頃から家の前でボールを蹴っていた。

暗くなるまで夢中で蹴り続けた。

下手くそだった私は、近所の家にボールを蹴り込みインターホンを鳴らして取りに行くこともしばしばあった。

それでも近所の人たちは、「将来はサッカー選手になるもんね」と一度も怒ることなく優しい笑顔でボールを取ってくれた。

住宅では生粋のサッカー小僧として知れ渡っていた。

小学校、中学校とボールを蹴っていない日はなかった。

クラブチームが休みの日には学校の部活に参加させてもらいボールを蹴り続けた。

高校もサッカーをしたいが為に私立高校に進学して、高校3年間の青春全てをサッカーに捧げた。

大学も全国優勝を何度も経験している大学に進学して、サッカー部に入部した。

さあプロになるぞ。と意気込んで大学に入学した私は、いきなりどん底を味わうことになる。

サッカー部に入部した1回生は1周2kmのダムの周りを6分半以内に入らないとチームには入れない。


私は6分半の壁を越えることができなかった。

そこから6分半との闘いが始まった。

授業が終わるとランニングシューズに履き替えてダムに向かい6分半への壁に挑む。

その生活が2ヶ月続いた。

とてつもなく辛かった。

そのままダムの底に沈んでいきたいとさえ思う日もあった。

そして何より、その事実を母親には知られたくなかった。

履くはずのないスパイクを毎日持っていき
1日30分で終わるダム走の時間を埋める為に
公園で時間を潰して家に帰る。

あたかも芝生の上で2時間練習をしてきたかのように。

申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだった。

2ヶ月が経ち、なんとか6分半の壁を越えることができた。

ただ、ようやく土俵に立てた時には皆との差は広がっていた。

その差を縮める為、必死になって練習に励んだ。

20歳になった夏に気づいた。

プロサッカー選手にはなれない。


現実を突き付けられた。

目の前でプロになっていく人たちの練習を見て思った。後2年でこれにはなれないなと。

それでもサッカーが嫌いなった訳ではなかったので辞めることなく今まで続けてこれた。

サッカー選手として1円の価値もない私に、何百万円ものお金を注ぎ込んで続けさせてくれた両親にサッカー選手として恩返しすることはできなかった。

両親はいつから気づいていたのだろうか。

私がプロサッカー選手にはなれないと。

その現実を知りながらもお金を投資し続けてくれた両親には頭が上がらない。

いつか子どもができた時、自分もそういう親でありたい。



この先の人生、正直何をしたいのかは定まっていない。

プロサッカー選手の夢を諦めた私に、サッカー以外のことは何も残らなかった。

だが、来年から社会人になる私にうだうだ言っている時間はない。

とりあえず死ぬ気で働こうと思う。

今まで愛してきたサッカーを忘れるかのように。

そして、両親に少しでも恩返しができるように。

それだけは決めていることだ。



時々、サッカーをしていなかった自分はどうなっていたのかなと思うことがある。

公立の高校に進学して男3人女3人で学校終わりに遊びに行ったり、文化祭の用意で放課後に学校に残って準備したり、大学のサークルに入って毎日合コンに参加していたり。

そんな想像をしたこともある。

ただ、サッカーを続けたことに微塵も後悔はない。

自分の人生はサッカーのおかげで成り立っているから。


サッカーを通して友達を作ることができた。


サッカーを続けたことで人との輪が広がり全国に仲間ができた。


その繋がりはこの先も切れることはない。




最後に、全国のサッカー少年に伝えたい。

プロサッカー選手になれなくても
どれだけ下手くそと言われようとも
親に反対されようとも
サッカーが好きなら続けてほしい。

夢中になってサッカーを続けたことがその先の
人生で意味がないなんてことはないのだから。




それをこの先の私の人生で証明しようと思う。




#サッカー #人生 #感謝 #恩返し #スキしてみて














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