ローカル路線バス乗り継ぎの旅から考える、バスは鉄道の代わりになるのか?

毎度ドタバタ劇が繰り返されるローカル路線バス乗り継ぎの旅。たまーに自分も見る。見ているうちに誰かが言った次の言葉をふと思い出した。
 「バスがあれば十分」
よく赤字ローカル線問題で見聞きする意見だ。今回は少し立ち止まって本当に路線バスが鉄道の代わりになるのか考えてみたい。

特定地方交通線のその後
 国鉄再建では多くのローカル線がバス転換された。多くの人は知らないが実は転換後にそのバスさえも減便や路線廃止の憂き目にあっている。減便はどこでも当たり前で、佐賀線のように路線が分割や撤退(佐賀市営バス、西鉄バス、堀川バス)されたり、極端な例で宮原線(大分県九重町~熊本県小国町)は大分交通の路線バスに転換するが、玖珠観光バス(大分交通の子会社らしい)に運営が変わり路線自体も大分熊本県境の麻生釣までの運行になっている。

ネックは県境市境?昔と趣の違う路線バス
 さて、話を戻そう。路線バスの旅で大変なのはバスの乗り換えがつながらず徒歩になるときだ。だいたい、県境かコミュニティーバスに乗ったあとに多い気がする。静岡の伊豆から愛知の知多を目指す回
(https://www.tv-tokyo.co.jp/rosenbus/backnumber/z01.html)
では静岡県湖西市~愛知県豊橋市の県境、豊川市のコミュニティーバス、安城市のコミュニティーバス、碧南市営バスあたりで徒歩が発生している。もちろん、ルートミスも考えられるだろうがここでは追求しない。
 前述の県境の場合だと十数年前まで湖西市と豊橋市を結ぶJR運行の路線バスは存在して「いた」から、この旅の面白さも減った?だろう。この路線バスも利用者の減少からか県境部分の数キロが分断されて地域のバス会社がそれぞれあとを継いでいる。
 他のコミュニティーバスもここ20~30年で増えてきたものだが、バス路線が認可制から許可制に変わったために発生した大量のバス路線廃止による副産物である。市や町が運営しているため自治体内環状型や完結型の路線がほとんどである。やはり、バス同士で乗り継ぎにくいのは当たり前である。

そもそも路線バスのサービス水準は
 ローカル路線バス乗り継ぎの旅は伊豆~知多の例では3泊4日で390kmの移動で1日あたり100km程度である。路線バス自体の表定速度(時刻表から計算した速度)は都市部では12km/h程度と言われており、郊外のデータは持ち合わせていないがカーナビの移動時間予測に使われてる30km/h程度が最高速度ではないかと推測する。
 そう考えると、乗り継ぎなしなら13時間程度で移動できる距離ということになる。ここで鉄道の場合だが、伊豆~知多は普通列車+路線バスで8時間程度あれば移動可能だ。東海道線の評定速度(70km/hとします)から乗り継ぎなしの時間を計算してみると5時間半程度で移動できることになる。

鉄道のバス転換は適切か
 ここまでで見えてくるのは鉄道とバスでは役割が違うんじゃないかということだ。30kmの鉄道路線を単純に路線バスに置き換えたとき30分で移動できたものが1時間かかるようになるし、往復なら1時間の違いが出てくる。さらに乗り換えは必ず発生するから移動時間はさらに伸びる。30km以下のバス転換ならそこまで問題は少ないとも思えるが、これ以上は移動権侵害のレベル(言い過ぎかもしれないが運賃は高くなるくせにサービス水準低下だ、少なくとも)になってくるのではなかろうか。しかもこれに県域市域の境界が入れ込んでいれば、バス路線は先々寸断され鉄道と同じような移動は確保できなくなるわけだ。
 余談だが、そう考えると国鉄再建時の北海道の路線廃止は過酷だ。100kmレベルの路線廃止が相当数ある。ある意味、明治来の北海道開発の失敗の一例だろう。道民は一人一台車がある時代だから今は気にしてないようだが、未来は。。。

便数の少なさは不便なのか
 少し視点を変えてみよう。路線の本数が少ないのに黒字だったり路線を維持し続けている交通機関がある、航空路線だ。一路線一日一往復だって珍しくない。ほかにもある、高速バスだ。高速バスに目を向けてみると鉄道といい勝負をすることがわかる。競合路線が多い九州や四国では高速バスとJR特急の競争が長らく激しい状態だったし、路線バスの旅にちなんでみると浜松~東京の移動を東海道線の普通列車と高速バスとで比べた時は同じくらいの移動時間だったりする。

鉄道と町づくりは深くつながる
 鉄道の特性は基本的には大量輸送だろう。そして、短距離もそうだが中長距離の利用に以外に優れていることがわかってくる。これからもローカル鉄道の廃線論議は沸き起こるだろう。そのとき、単純にバスに置き換えたのでは恐らく負のスパイラル・過疎スパイラルの加速なんて結果になりかねない。これでは負担を減らすために鉄道をやめたのに更に人が減るようなら町すらやめないといけなくなり本末転倒だろう。
 最近は高速道路(高規格道路)が全国網の目状に広がり続けている。この道路と昔の鉄道路線と重ね合わせてみると結構重なるし、現役のローカル鉄道路線とも並行に延びてたりする。同じインフラなのにどこで差がついたのか。車社会のなせる技か。この御時世、リダンダンシーも大切だと思うのだが。

救世主は高速バス?それともBRT?
 大船渡線は一部BRT(バス高速輸送システム)に置き換えられたが今のところ好意的な声は多い。日田彦山線はBRTと路線バスの両取りをするようだ。BRTは専用道を使えば路線バスの欠点である速度を補え、レールの維持費が路盤の維持費だけで済むようになり、コストカットの好例だろう。
 しかしながら、BRTと一般鉄道は相互に乗り入れられる訳では無い。短距離は代替可能だろうが中長距離は無理がある。乗り換えれば行けるという意見はあるが、不思議なことに乗り換えがあると乗客が減るといわれる。そこで、高速バスで補完すれば案外良いのではないか。ポイントtoポイントだが、輸送力からもちょうどいいのではなかろうか。

問題の本質はインフラなのか?地方の今後を
 各地で行われているコミュニティバスの運行や路線バスへの補助金。道路の整備、高速道路の建設。お金を投下すれば一定の効果はある。ただし、インフラの建設と維持だけで地域が活性化するわけでもない。この現状をよく認識して効果的に施策を打たないといけないはすだが、どの方面も金が無いと言って動けないようだ。
 戦後、政府の政策で地方の人間を吸い上げ続けて都会は成長し、我が国を豊かにしてきたわけだが地方にはそこそこの再配分しかなかった。今では人口も減り始め負の再配分だけ一丁前に平然と行われている。そんな負の再生産から決別しないと地方は安楽死が待つのみだ。都会だけが日本ってことはないだろう。
 人を増やせよ、仕事をつくろう。地方は頭を使ってアイデアを生み出し、なけなしのお金で施策を実行しているだろう。しかし、自分が思うにそれだけではダメで国とのケンカは避けて通れない未来があるような気がする。

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