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小学生と微分とド文系の私 エピソード0

前回の記事

ファイナルまで到達しましたが、そもそもこの記事を書くに至った理由に少し、触れさせてください。

中学まではなんとか、数学にくらいついていた私ですが、高校に入るとさっぱりできなくなってしまいました。

中学までついていけたのは、学習塾のお陰であり、ある種、親のサポートの賜物であったことを理解したのは、ずっと後の事です。

赤点を取った回数は数知れず。
よく、卒業できたものです。
この部分に日本の教育の闇が潜んでいそうですが、話が深くなりすぎるので、割愛します。

高校の数1でつまづき、三角比はチンプンカンプン、微分積分はどうやって単位が取れたのか記憶にありません。

大学は私大法学部に行くことができたため、
数学を回避していたものの、ITシステム開発に進み、論理的思考力や数学力の低さで悩みました。

その後、コンサルティング会社に転職し、今に至りますが、近年はAIが盛んで、いよいよ数学を避けることができない状況に突入しました。

加えて、子どもが小学校に入ったものの、
自分の様な数学を避けるが故のド文系人間になってほしくない、せめてもの数学の基礎学力は鍛えてほしいという思いから、
算数・数学の旅(後に微分と言う山頂への旅)を
一緒に歩むことにしました。

個人的な意見ですが、教育において特に重要なのは、言語の理解力と数学力であると考えています。

教科書が読めれば、社会系の科目は結局理解できるであろうし、数学的な素養があれば、理科系の科目も理解できると捉えました。

また、実はこれらの科目って、「好奇心」をもって、興味があれば、勝手に楽しんで学習を進めていきます。

落合陽一氏が知識にフックをかける状態と表現していましたが、気に入っています。
記憶することに重きを置くのではなく、簡単にググれる、ググった後にさっと理解できる状態を作ることが現代の社会では必要という意見です。

そこで、自身の子どもには「言語理解力」「数学的素養」をベースにして、家庭学習を進めることにしました。

学校は、いろんな人とコミュニケーションをする場と割り切っています。
また、コミュニケーションの場は学校以外のコミュニティも活用しています。

言語の理解力について、国語である日本語は「日頃のコミュニケーション、問いかけ(なぜそう思うのか、自分はどう考えるか)」
「読書」を通じて、ある程度高めていけると考えています。

新井紀子先生の「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んだ際に、教科書に書いてあることが理解できていない子どもが相当するいるという報告にショックを受けました。

ただ、我が家の場合、学校の教育を受けることで、日本語力の基礎部分は、育成可能と判断しました。
また、算数・数学の学習を通じて、「日本語を読む」ため、徐々に理解度を上げられることも実感しています。

ただし、同じ言語でも母国語ではない英語は、現在進行形で学習を進めています。
話す、聞く、書く、読むの4技能は基礎としてはもちろん重要ですが、
今後意識したいと考えているのは、
・自分の意見を言える(母国語、外国語問わず)
・自分の考えの根拠を示せる(論理性)
・相手の意見を理解し、洞察ができる、自分の意見と相手の意見の相違を建設的に消化できる
という言語能力です。

言語能力と数学力が備わっていれば、たとえグレてしまったり、学校に行かなくなり、一時的に勉学に励まなかったとしても、
取り返せる可能性を高められると考えました。

多様性が求められる社会に出るはずが、画一性を重んじる学校教育の限界を感じています。

数学力を考える際に参考にしたのは「公文公」氏です。
公文教育研究会の創始者である公文氏は、有名な話ですが、ご自身のご子息に向けて作成した算数・数学プリントを展開して、今日の公文式を築かれました。

特に参考にしたのは、学年に捉われない算数・数学の学習、高校数学を理解するための学習プロセスの構築についてです。

公文のサイトを見ると、算数・数学のカリキュラムは微分・積分の理解を山頂に構成されています。

公文氏によれば、高校数学の教師をしていた際に、生徒たちの理解力が低く、どのような改善を行えば良いかを考えていたそうです。
私も高校数学を挫折してしまったクチなので、大いに共感できます。

また巷でも
「東大の先生!文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!」
という書籍がベストセラーになったように、
大人になって理解できていないことを実感する方が多いのだと思います。

算数・数学は積み上げの学問です。
去年流行したドラゴン桜に出てくる数学の鬼「柳」先生も同様のことを仰っていました。
1+1から始まり、掛け算、割り算、分数、小数、方程式、関数を経て、高校では微分・積分(数3)を学習するまで、続きます。

残念なことに途中で挫折しても、学校の学習はどんどん進んでいきます。
挫折した生徒の事なんてお構いなしです。

代数だけでなく、図形や統計といった分野も同時並行的にでてくるので、どこにいるのか迷子(遭難)になってしまうことが多々あるのではないでしょうか。

逆に言うと、ゴールを設定して、スタート地点である「すうじ」から、どの様な道を進めばゴール(山頂)に到達きるかを考えれば良いと判断しました。

私はあえてピークを「微分」と置きました。
積分は?と思われるかもしれないですが、積分と微分は密接に関連し、微分が理解できれば、積分の理解は追いつきます。

また、級/段制をとった主な理由ですが、
スイミングスクールの級という制度を参考にしています。
スイミングスクールではゴールとして100~200mの「個人メドレー」を設定するケースが多いです。

最初のスタート(幼児)は顔を水につけるところから始まります。
そこからステップを踏んでいき、クロールができるようになり、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと級をクリアして進んでいきます。

小学校低学年でゴールに到達する子もいれば、中学年、高学年とゴールの到達までは個人差があります。
基本的には個人の進度に合わせて、進んでいきます。

算数・数学も同様のプロセスで進めることが可能なのではないかと考えました。
現に公文式は同様の考えに則り、カリキュラムを構成しています。

頭が非常に柔軟なうちに、吸収してしまうのが個人的に良いのではと思いました。

日本にはさんすう・数学検定という仕組みがありますが、
学校の教育カリキュラムに準拠しています。
公文式に共感を抱いた私は、図形や統計の分野は後回しにし、(ある程度の年齢になって理解度が高まった方が学習しやすいため)
代数的な分野を中心に微分まで到達する絵を描きました。

微分というゴール(山頂)を設定し、すうじを理解することをスタートにどの様なアプローチが良いかを個人的に考えた結果の級/段の仕組と言えます。

子供にとっては、自身の立ち位置が見えるので、
進捗度を理解することができ、山の何合目にいるのかを理解しやすいです。

数学教育の専門家ではないので、この構成が正しいかどうか、含んでいる内容が妥当かの判断はできません。
一定の品質を担保するためには、市販の教材やサービスを組み合わせるのが、得策と考えました。

またそもそも教育に正解なんてなく、検証も困難であることを鑑みまして、あくまでも自分の中での現在の考えというレベルに留めておきます。

これを実践する上で、
・市販のドリル(600円~1000円/冊)などを活用
・塾や教室に通わない
としています。

コスト的観点では、塾などに行くと恐らく、月額6~7000円掛かります。
この費用感の妥当性の判断は難しいので、ここでは触れません。

ただ、コスト以外にも、移動の時間(子供・保護者ともに)、学習進度が塾に依存する、人間関係というデメリットもあります。

こうして、約18ヶ月をかけた壮大な山頂への旅を始めました。
旅の過程は各章で紹介していますので、ご覧頂ければと思います。

まだ我が家の長女(小学3年生)は九段(数2の微分)の途中で、
山頂を一緒にウロウロ歩いているレベルです。
「独りでウロウロできる」「ウロウロに飽きて下山を始める」くらいが、九段の終わりと考えています。

また、筆者には長男(2022年4月に小学校に入学します)がいます。
彼も9級(すうじ)に着手しました。
長女の反省を生かし、一緒に楽しみながら、旅を進めていきたいと思います。

長女の数学力はまだまだ基礎レベルに過ぎません。
ただ机上の数学ではなく、実生活で使うための数学にシフトをしていきたいとも考えています。
このシフトについては、また別途、お話する予定です。

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