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雑感1 ポールサイモンとさだまさし

さだまさし(1952-)は、ポールサイモン(1941-)を非常に敬愛している旨を、ライブや著書で語っている。

さだまさしとポールサイモンとの面会
1999年のライブにおけるさだまさしの語りによれば、
1979年、さだはワーナーブラザーズ社のオフィスを訪ね、ポールサイモンに会った。さだ27歳、サイモン38歳。
ポールサイモンはガタイが良く、野球帽を被っていたそうである。
同年4月10日に発表したLP『夢供養』を持参したさだが、自作について少し話すと、ポールサイモンは「一緒に聴こう」と言った。
そして2人一緒にA面(唐八景、風の篝火、歳時記、パンプキンパイとシナモンティー、まほろば、療養所)を聴いたそうである。

サイモンは「この曲のこの辺のギター、僕の弾き方に似てますね」と言いながら実際にギターを弾いたりしたそうである。
さだは「あなたの奏法のギターを入れたかったんです。僕が弾いたのではないんですけど」と答えた。

さだまさしがポールサイモンに会いに行ったのは、1978年のサイモンの発言、
「たかが音楽、いつだって辞められる」の真意を聞くためだったそうだ。
この件について訊くと、サイモンは、
「音楽はいつも、過去に向かって進行するのだ」というような事を答えたそうである。今に至るまで私はこの返答の真意を理解できずにいる。しかしその後サイモンが発表した名盤の数々のことを考えると、うっちゃって置くのがはばかられる言葉に思えてくる。

『ワントリックポニー』と『長江』
サイモンはさだに会った1979年、自身が脚本・音楽を書き主演もした映画の制作の最中だった。その映画『ワントリックポニー』は翌80年に公開され大コケした。
(サントラは素晴らしい。特にこの「Nobody」の孤独感はえげつない)


サイモンは自信を失い、苦難の時期を過ごした後、1986年のアルバム『グレイスランド』で爆発的大復活を遂げる。

さだまさしもまた、1980年から中国にて映画『長江』の撮影を開始した。この映画の制作により数十億の借金が残り、苦労したという話は、さだのステージトークでの鉄板となっている。

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