「自分でつくる」のか「参加する」のか?

ぼくには、とても惚れ込んでいる学校がある。自分たちで学校をつくるにあたり、理想として目指している学校が。

でも、そうしたことを言うと「なんでそこに子どもを通わせるのではなくて、自分たちで作ろうと思ったんですか?」と聞かれる。

言われてみれば、それもそうで。自分の子どものことを考えるのなら真剣にその学校に通わせることを考えたってよかったわけだ。
きっと、そのほうが自分たちで学校を作る何倍も堅実な道だっただろう。


「自分でつくる」と「参加する」の違い

この違いをなかなかうまく伝えるのが難しいのだけど、なんとなく2つの理由にまとめられる気がした。


① 好きすぎて「作る」方に興味が向いたから

たとえば、とても美味しいパン屋さんがあったとする。そこのパンは本当に最高で、毎日でも食べていたい。

どんどんそのパン屋さんを好きになっていくと、そのパンの作り方そのものに興味がわいたりしませんか?

こうした興味の広がり方って、いろんなことであると思っていて。
料理やDIYなんかは、ぼくにとってはまさにそんな感じ。中にはアクセサリーや編み物なんかにそうやってハマる人もいるかと思う。

学校も、そこに惚れただけじゃなくて、そこで行われてる子どもとの触れ方や学び方という、中身そのものを知りたいと思ったのだ。


②自分だけじゃなくて良さを広めて行きたくなったから

どんどんそのパン屋さんを好きになっていくと、自然と自分だけじゃなくて人にも教えたくなりませんか。

広め方はいろいろで、お店の場所を教えてあげたり、パンを買ってプレゼントしたり、ブログで紹介したり。

そのもっと先には、そのパン屋さんからパンを仕入れて、販売する代理店みたいな方法もあし、お店で修行させてもらって暖簾わけするような方法もある。

つまり好きが行き過ぎて、作り手側に入りたくなっちゃったのだ。自分だけが毎日美味しいパンを食べて満足するのではなくて、その美味しさを人と分かち合いたい。

学校に関しても同じで。
うちの娘が通うってのはもちろん願ったり叶ったりではあるのだけど。
その良さを自分たちだけで堪能するんじゃなくて、もっと身近な人たちとともに味わいたいと思ったのだ。


思えばずっとそんな風にして仕事をしてきたかもしれない。 作り手でありたかったし、いいなと思ったものをみんなに知って欲しかった。

学校を作ると言うのも、その人生観の延長線上にあると言うことなのかもしれない。


では、また明日。


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