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私たちは「家事」をどんどんワルモノにしてないか。

「もしも家事を、全部外注化することができたら幸せだと思いますか?」

先日、SNSでこんな投稿を見かけました。

「子どもの面倒を完璧に見てくれて、栄養たっぷりなご飯もつくってくれる。パパママが疲れ果てて帰ってきても食事、お風呂、ベッドメイクもバッチリ。もちろん洗濯も掃除も終わってる。そんな人がいたら仕事も全力でがんばれるし、子どもも2人目、3人目を産もうって思えませんか?」

おおむね、こんな内容。
それで、ちょっと真剣に考えてみた。「家事を全部外注化できたら、幸せになるかな?」と。

外注先は、業者さんでもロボットでもなんでもいい。
家事や育児の面倒なところはぜーんぶ自分以外の誰かがやってくれる生活。
もう、ご飯をつくるのに悩んだりイライラしなくてもいいし。子どもの洋服のサイズアウトに焦らなくてもいい。部屋はいつだってキレイだし、布団の衣替えが面倒でいつまでも毛布をベッドの端っこに丸めて置くことだってない。

そうしたらもう、定時に帰らなきゃなんてアクセクしないで、好きなだけ仕事ができる。家のことなんて、なんの心配もしないで自分の時間を自由に使うことができる。

…だけど、なんかちょっと「それじゃない」感がある。

僕はそんなにまでして、自分の人生を仕事に全振りしたいとは思っていないのだ。家事や育児を言い訳にして、仕事をほどよく切り上げてるくらいが丁度いい。

ちなみに。逆だったらどうだろう。

僕の代わりに「仕事」を完璧にこなしてくれる。取引先との面倒なやり取りも、上司からの愚痴も、売上が上がらない恐怖も丸っと引き受けてもらえるとしたら。僕はもう、仕事から開放されて家事育児や、自分の好きなことだけに時間を使うことができる。

…やっぱり、「それじゃない」感がある。

きっと、仕事を何かしらはじめて「疲れたー」とか言い出すに決まっているのだ。

▶ 家事は短ければ短いほどいい?

時短家事。効率化。
世の中は、家事時間をいかにして短くするか、に躍起にだ。

「たった2つの材料だけで、家族も大満足な時短レシピ」があれば試してみるし。「食器洗いの時間が家族団らんの時間になる」と言われれば食洗機が必要な気がしてくる。

家事の時間を短くすれば、子どもとの時間が増えるはず。
家事の時間を短くして、仕事の時間を増やしたい。
家事の時間さえなければ、自由な時間が増えるのに。

そう感じている人は多いだろう。僕だって、仕事の電話をしながら夕飯を作っているときなんてそう思う。

人は、有意義なことに自分の時間を使いたいと思うもの。
家事の時間が、その有意義なことを妨げるのだとしたら、その時間は短いほどいいに決まっている。

家事は「ワルモノ」なのだ。
人生において有意義な、本を読む時間を削ってしまう。
家事さえなければ、資格の勉強だってできるはずだ。
仕事ではもっと成果がでるし、睡眠時間も増えて健康で快適で自由な人生になるはず。

そもそも「家事をやらなきゃ」と思うだけで、気分が重たくなる。散らかっている部屋を片付ける(しかも自分が散らかしたわけじゃない物)時間の、なんと不毛なことか!


それなのに…だ。

「家事をまったくやらなくてもいいよ」となると、途端に心もとなさを感じてしまう。


▶ 家事をする権利は、自由の証である!…かもしれない!?

学生時代。僕はひとり暮らしをしたくてしたくて、たまらなかった。小さな部屋でいいから自分で借りて、自分で好きな部屋にして、好きな物を食べて暮らしたいと思っていた。

自分で生活をする、というのは、そのまま「自由」の証だった。

実家にいれば、洗濯もしなくていいし、食事だって黙ってても3食出てくる。部屋が汚ければ掃除だってお願いできる。なんなら家賃だってかからない。

家事をしなくていいし、家賃も払わなくていいのだから、僕は時間も金銭も自由なはずだった。本を読んで勉強できるし、資格だって取り放題。自分にとって大切なことに全振りできて当然だったはずだ。

それなのに。
家事をしない時間は、ただダラダラしてるだけで過ぎていった。
生産的で、有意義なことをしていたか?? そんなこと、何一つしちゃいなかった。

そのうえ「不自由だ」と思っていた。シンジラレナイ。
それで「家を出たい」と心から思っていたのだ。

家を出れば、自分で洗濯も食事も掃除も何もかもしてもっと「不自由」になるはずなのに。それが、自由だと思っていた。

不思議なものである。
やりたくないはずの家事は、脳内で勝手に「自由な暮らし」に変換されていたのだ。

自分でご飯をつくったり、コンビニで好きな弁当を買って食べたり。
鼻歌を歌いながら洗濯物を干したり。かっこいい部屋にするべく、インテリアショップを歩きまわったりする。

これらは煩わしい家事じゃなくて、自由で、ワクワクして、自分で生活をしてるんだっていう自立の証でもあった。


▶ 僕は家事を救いたい!

本来「家事」はおもしろいことなはずだと思う。

それを苦しいことにしているのは、義務感とマンネリ。そして家事よりもっと大事なことがあるという社会的な雰囲気のせいだろう。

きっと、いわゆる「丁寧な暮らし」は丁寧なんじゃなく「暮らしを面白がる知恵」であり、脱マンネリ化の工夫でもある。

家事が便利で効率化されていくほど、家事はただの作業になる。

スパイスからカレーを作ることを楽しいと思う人はいるが、レトルトカレーを温めてご飯にかける作業を楽しいと思う人はきっといない。

不便で面倒のその先に「おもしろい」が隠されているのだ。

きっと洗濯板で洗濯していた時代には、それぞれの洗濯哲学があったに違いない。

「洗濯ってのはさ、朝一番の冷たい水で洗うのが一番なんだよ」
「いやいや、冷たい水かどうかよりも、こすり方! こすり方で汚れ落ちが違うんだから!」

数十年洗濯をしてきたわたしは、洗濯に対して一家言持ってるんだ。そんな人がたくさんいたに違いない。(そして、それはときに面倒くさい嫁姑問題に発展したんだろう…(笑))

いまさら、洗濯板で洗濯する時代に逆行するなんて絶対に嫌だけど。
家事をおもしろがるには、自分なりの家事哲学を持つことにヒントがありそうな気がする。

便利になることは、いいことだ。
でも、便利になることは、つまらなさと隣り合わせでもある。

だけど。
きっと、便利で効率化された家事をおもしろがることだってできるはずだ。

ひとり暮らしに憧れた、あの頃のように。
「暮らしを楽しむ手応え」は、あるのだから。

では、また。


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