マガジンのカバー画像

私的、よく読まれた記事

33
はじめましての方へ。おすすめ入りした記事など、わりと読んでもらえているなという記事をまとめました。もしよろしければ、自己紹介の代わりとして。
運営しているクリエイター

#コラム

「逃げてもいいよ」じゃなくて「逃げよう」と言って欲しい。

あれは確か、中学生のころ。 学校がまったく好きになれなかったぼくにとって、気楽に過ごせる唯一の場所が当時通っていた塾だった。 そこは個別指導塾で、部屋の中は机ごとにパーテーションで区切られていた。 そこでは、先生とマンツーマンで授業が進められる。 ぼくを担当してくれていたキムタク似のイケメン大学生の先生と、勉強とは関係のない他愛もない会話をするのが何よりも楽しかった。 大学の話、お互いの彼女の話、クラシック好きだった先生が熱く語る(けどつまらない)コンサートの話。中学生だ

個人ブログは、”伝えること”を楽しんだらいいんじゃない?

Twitterで目にしたこの言葉に、深くうなずきました。 “収益化のためのブログ運営を学ぶのは楽しかった。だけど、心がまったくついていっていなかった。正直なところ自分が自分でなくなり、訳がわからなくなっていた。” ぼくは”文章を書こう”と決めてからの約2年。一日も休まずにnoteを更新しつづけています。 こんなに長続きしているのは、自分が書きたいことしか書いていないからだし、自分が読んでいてできる限り心地よいことだけを書くようにしているからです。 そして、noteを読み

長続きしなければ、やめたらいい。

「やる!」と決めたことが長続きしないのは、何でだろう。 娘を見ているとそんなことを思ったりします。 「欲しい!」と言って買ったオモチャにすぐに飽きちゃったり。 「やる!」って決めたマイルールをいつの間にかやらなくなってしまっていたり。 「お菓子つくりたい!」と言ってはじめたお菓子作りを途中で飽きちゃったり。 決めたことを、なかなか最後までやり通したり、継続させたりすることができません。 そんなある日、娘に言われました。 「パパ、最近ゲームやってないな?」 ドキッとし

1年間のnoteにはちゃんと大切なことが詰まってた。〜N1グランプリをやってみた!〜

k2020年に書いた370記事の中から、個人的ベスト10を選ぶ「N-1グランプリ2020」にぼくも乗っかってみようと思います。 思えばたくさんの記事を書いてきました。noteだけに限らず、今年は本当に文章を書き続ける一年でした。 noteも「伝えたい」という強い想いで書いたものもあれば、「ねむたい〜」と朦朧とするなかで書いたものもあります。 それでも、書き続けることが楽しかったことと、それ自体にもっと向き合っていこうと思うことができた一年だったことは嬉しく思います。 それ

「ご飯できたよ」と呼ばれてもすぐに食卓へ向かわないのは礼儀の問題なのだ。

母に「ご飯できたよ」と呼ばれても、返事をしなかったり、やっていることがひと段落するまで行かなかったりしていた。 すると、母の機嫌は途端に悪くなった。 できたと言っているのになぜ来ないのか、と。 ぼくにはぼくの言い分もあった。 食べたくなったら行く、いまはやっていることがあるのだ、と。 当時は母の気持ちがよくわからなかった。 なにをそんなにわずか数分のことでイライラするのか。べつに30分食べに来ないわけではないのに。 だけどいま。毎日の食事をつくるようになって、ぼくは母

これから子育てする親が、子どもの事以上に気を付けなくてはいけない事。

記念すべき第一子が産まれ、これからはじめての子育てをするパパ、ママへどうしても伝えたいことがあります。 それは、 何よりも、親の体調を第一に。 と言うこと。 子どもが産まれたばかりで、可愛くて、愛しくて、でも色んなことがとにかく不安だったり心配だったりすると思います。わが家も、出産後数日で娘の黄疸の値が下がらずに急遽転院して入院したり、授乳がなかなかうまくいかなくて大変だったりいろいろありました。 はじめての育児は、命を育むプレッシャーと、24時間ほぼ休み無しのブラック環

疲れているなら、大切な話を後回しにしてでも夫婦でくだらない話をすることをおすすめする!

余裕がなくなってくると、夫婦の会話って「ほうれんそう(報告・連絡・相談)化」して来ちゃうよなって思っています。 夫婦の関係は、くだらない会話でできてる(気がする)お互い忙しくなってくると、段々と必要なことしか話さなくなってきます。 幼稚園の準備とか、牛乳のストックがあるかどうか(娘が牛乳大好きなので切らすと文句言われる)とか。 で、忙しい中でもふいにぽっかり時間ができたりすることがあります。 そんなときに、わーっと普段の生活とは全然関係のない話をする。 最近読んで面白かっ

家事シェアしたいなら、ママが変わるしかないんだ。

ぼくは日本唯一の家事シェア研究家として活動をしています。だから家事シェアの話をしているとママから「パパをどうやったら変えられるのか?」「どうやったらパパが主体的に家事をしてくれるようになるのか?」をよく聞かれます。 そして、そう聞かれるとぼくはいつも困ってしまう。なぜなら、「他人は変えられない」から。 いま、家事を全然してくれないパパが、突然主体的に動いてくれる方法なんて、残念ながらぼくにはひとつも思い浮かばないのです。 だから、そういう場合は必ず伝えます。 「パパでは

ファミリーシェアオフィスのレシピ〜発売前の書籍の一部を無料公開します!〜

6月に発売予定の「子育て家庭のためのモヨウ替えの教科書(仮)」の一部分を、急遽無料公開することにしました。 コロナが猛威を振るうなか、在宅ワークに切り替わっている人たちがたくさんいます。ぼくも3月以降、すべての打ち合わせがオンラインに! そして、打ち合わせ相手の方々が軒並み自宅からつながっているようになりました。中には、お子さんが近くにいたり、パートナーもとなりでオンラインmtgしていたりします。 この状況のなか、在宅で仕事や勉強がやりやすい環境をつくるってとても大切なこ

不登校になる勇気

ぼくは小学校時代、6年間イジメを受け続けていた。 自分がイジメを受けている、なんてことは恥ずかしくて親にも言えなかった。 ただ、なんどか「引っ越したい」と訴えたことはあった。もちろん、子どものそんな言葉のたびに引っ越しをするわけになんかいかないから、なんだかんだとなだめすかされたんだったと思う。 学校に通うのが嫌すぎて、夏休み、帰省先の田舎から東京へ戻る新幹線のなかでずっと泣きつづけたこともあった。 *** 毎日、センセーショナルに殴られたりするわけではない。 辛いのは

娘の弁当を作った250日の振り返り。

「これからは、幼稚園で毎日お弁当がいるんだ」 東京から京都へ移住した1年半前、自分がはたして毎日お弁当を作ることができるのかなと不安になっていた。 娘はひとりでスプーンや箸を使ってごはんが食べられるのだろうか。 お弁当の蓋をちゃんと開け閉めできるだろうか。 いまとなっては、なにをそんなに心配してんだか、と苦笑いしてしまいそうになるけれど、その頃はそんなことでさえも心配だった。 幼稚園の入園まで約1ヶ月。 ぼくは自分が朝起きてお弁当づくりなんてできるのかを試すのと、娘がちゃ

夫だからできる、小さな名もなき家事に気がついた。

「実家からお米が届いたから、お礼のメールしておくね」 今日、ぼくの実家から荷物が届き、そのお礼の連絡をしたのですが。 「それ本当に助かる! ありがとう!」 と、妻からずいぶん感謝されました。 ぼくとしては「うん、ありがと」くらいを想像していたので、思いのほか感謝されてすこしびっくりしたのです。 たったこれだけのことですが、妻の話を聞いて「なるほど、これは確かに”夫タスク”だな」と思いました。 *** ──荷物無事に届いたよ。ありがとう。 実家に送ったメールはこれだけ

めちゃくちゃ旨くて、硬くてゴムみたいな肉を食べたことありますか?ぼくは昨日食べました。

あなたは、めちゃくちゃ旨くて、硬くてゴムみたいな肉を食べたことがありますか? ぼくは昨日食べました。 噛むほどに旨味がじゅわっと溢れてくるのだけど、顎と首筋がつりそうになるくらいに硬い。口に入れたが最後、目を閉じて全身全霊をかけて噛まないと食べられない。噛んでも噛んでもゴムのような弾力で歯を弾き返してくる肉。食べるほどに体力を消耗させる肉。 その肉との出会いはスーパーでした。 ぼくはスーパーめぐりが趣味で、色々とまわります。その日もたまにしかいかないけど、種類も豊富で値段

娘と一緒に死について考える。

きっかけは、娘と見ていたアニメのセリフだった。 「人生はあっという間」というようなセリフ。 「”じんせい”ってなに?」と娘がぼくに聞いてきた。 「人が産まれてから、死ぬまでのことだよ」 「みんな死ぬの?」 「そうだね、みんな死ぬね」 「死ぬってなに?」 死ぬってなに? そう聞かれて少し答えにつまった。4歳児にもわかるように答えるにはなんと言えばいいのだろうか。 もう二度と動かなくなること? 心臓がとまること? 細胞が活動を停止すること? もっとライトな表現もあるだろ