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京料理

料理を作るときは、食べ終わるときの状態を想像する。始めのインパクトは強くなくて良い。じわじわと全貌が明らかになる。自ら少し探さないと見つからない要素。掴みかけると離れていくなにか。いつの間にか食べ終わっている。
音楽でも同じようなことをしている。

夢で食べたのかもと思うくらい、内容は全く覚えていないが、驚きだけは覚えている食事の体験があって、それは京都に住んでいたころに働いていた京料理の店で、忘年会かなにかで研修を兼ねて食べに行った老舗の京料理のコースだった。出だしは探さないと味を見つけられないくらいの繊細な味付けで、料理が進むにつれて解像度が上がっていき、また突き放されて、いつの間にか終わっていた。酔っていただけかもしれない。酒を飲んだ記憶もない。

友人と家でレコードを聴いていた。小腹が減ったので散歩がてら食事に出かけた。出町柳の駅から鴨川を越えたところを左に入った一角に料理屋がいくつかあったので、そのひとつのラーメン屋に入った。ラーメンと餃子と瓶ビールを頼んだ。しばらく経ってその辺を自転車で通ったが、その店は見つからなかった。
最近ふと思い出して、Google Mapで検索したら、その店が出てきたが、急に恐ろしくなり、見るのを止めた。

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