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ヒトは負荷も好き101

連続101日目。
100日って3ヶ月ちょっとなんだね。
なるほどそう考えると結構長い。よくやったなあ!
昨日100日達成しました!ってFacebookにアップしたら、いつもよりたくさんのリアクションをもらって(シェアって普通の投稿よりあんまり人に見られないんだよね、Facebookの機能上)、さらにお祝いのコメントもいただいて、(未央さんからはnoteにコメント貰っちゃったー!えへ)これが1番のご褒美かも、とか思ったりした。(ええ、承認欲求ですよそれが何か?)
誕生日でもないのに、祝ってもらえるなんてうれしいなー。
そこで思ったの。
人は頑張りたいんだなって。頑張る、という言葉は適切かどうかわからないけど、自分で決めた選んだ程よい負荷(時にはその負荷が巨大になることもあるが)をやり遂げることが快感、ということ。大げさにいえば生きる喜びを感じるってこと。だから人がそれをしているのを見ると、すごいね!って思うし、刺激を受ける。やりたいんだよね、やっぱりそういうこと。生きる上でやらなくても死なないけど、充実感を得るための必須栄養素なんじゃないかな。だから頑張ってる人とか自分から見ればすごいことしてる人を応援したくなったり、すごい!って思ったりするんだろう。(だって、自分とは関係ないもんね。ドライな言い方すれば。)

あたりまえといえばあたりまえだろうけど、はっきり言語化できてなかったなあ。
だから、あの人は頑張ってるのに自分はダメだ。。。とか落ち込むのはちょっと方向がおかしくて、そこに反応したってことは、なんかやりたいんだな。じゃあなにやろうかな。って見ていけばいいね。(ほんとに長いことだから自分はダメなんだ。をやり続けてきたのはこれを腑に落とすためだったのかな)そして、明らかに疲れ切ってて必要なのは休息なのにやらなきゃ!ばっかりぐるぐるする時はすっぱり切り替えて寝るとか単純に遊ぶとか漫画読むとかそういうことしたらいい。そういう時にこそ、人のアクションが眩しく輝いて見えるんだろうけど、それは人を見ているというより自分を見ないようにしている、みたいな感じだと思うわ。

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最近noteを書くのが遅い時間になっていて、そうすると1日中、「いつ書く時間を作ろう」と気になり続けて消耗するので、(ワーキングメモリ常時稼動みたいな)できるだけ午前中に書く、をやってみようと思う。なんかねえ、1日過ごした後の方が、書きたいこと出てくるだろう、いいネタが起きるかもしれない、とか思ってたけど、毎日書くならNo. 1を見つけることに躍起にならなくていいのだ。(なってもいい。それもすてき)その後出てきてすごい書きたいことなら次の日があるんだから。
この考え方がずうっとできなかった。 明日があるんだから。っていうやつ。そんなこと言ったって今ちゃんとやらないと!みたいに思ってたけど、執着してただけだった。自分はできる、とか完璧に、とかそういう類のものに。
もっと力抜いていこう。

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そういえば、昨日は微熱があって、立ってられなくて見事に1日ごろんごろんしてたけれど、実はすごく楽しかった。「あー、今日はいいの。なにもしなくていいの。だって体調が悪いからね。立ってられないし。日曜だし。気圧も酷いし。無理したっていいことないよ。おやすみおやすみ!」って思いながら、寝ててもできるほぐしをして(身体が楽になるから)、ひたすら漫画読んでた。すごい幸せだった!
どれだけいっつも、「あれやらなきゃこれやらなきゃああもうこんな時間だ終わらない!」ってやってるんだっていう。急を要することがある訳じゃないのに。やらなきゃ!でもnoteも瞑想も続けてるんだから、それはそれで全く悪くはないんだけど。やりたいからやってることも、やらなきゃ!って思うと誰かに強制されたような気分になって、自分で選んだことを忘れて愚痴を言いたくなる。強制してるのは自分なんだけど、そんなこと忘れ去る。
そうやって自分のやりたいこととか、望むことから目を逸らすのが人間の癖なのかなあ。ちょっとおもしろい。

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ほんとは今日は三角筋をほぐして首が楽になった!みたいな話を書こうとしていたんだけど、なんか流れが変わってしまったからその話はまた今度。
11時台にnoteが書き終わってる喜び!


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