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信じられることしか起こらない67

もう夏本番ですね。
助走がなかった分(梅雨が長くて涼しかった分)、既に結構バテバテです。
今日は車の温度計が41度を指していた…。
危険!

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最近ね、人との触れ合いが激減してまして、
家族っていいなあ。
とか思っていた。
結婚したい、とかこどもほしい、とかはあんまり思ったことがなくて、家族がほしいのだ。
家族っていうか、同居人とか友人とか身内みたいなイメージ。
話がズレちゃったけども、とにかく他愛のないお喋りとかご飯とか行きたいなー。って感じだったってことだ。

そしたらなんと。
今日朝のオンラインの講座を受けてからの、昨日の夜更かしの負債も相まっての昼寝?朝寝?から目覚めたら、なんとランチのお誘いが!
しかも、ステキかわいいお姉さんから!
こんな嬉しいことある?!
って喜びつつ、
あ、これ本気で願ったからきたのかも。って思った。
シンクロ?みたいな。
過去を振り返っても、壮大なことでなくとも、心からこうなったらいいな、こうなりたい、と思ったことは叶っていたりするのだ。(恋愛とかだと執着とか邪念?とか色々入ってきてしまって、心から純粋にっていうのが難しくなる。私は。)
勘違いでも幸せな夢でもなんでもいいんだけど、量子学的にも、自分の認識したものが現実となる。っていうし、だいたい合っていると思う。

私は基本的にイメージするって苦手だ。苦手だけど、この手の時はたぶんなりたいイメージ(というかこんな感じ、っていう状態?)が内側にしっかりある。
昔から触れたこと、見たことのないものが想像できなくて、保険会社とか説明聞いてもさっぱりイメージが湧かず
(子供は自分で保険に入らないから経験がない)、職業にしても、教師とかお店の人とか身近に具体例がいる感じのもの以外はあやふやでぼんやりしてよくわからなかった。(そして実際よくわからないまま会社員になってみたけど、わかる前に体調を崩してしまったので、いまだにイメージがぼんやりしている)

きっとイメージとか、状態がクリアになれば、望めるものが増えるんだろう。でもそこに不安とか恐れがあると、イメージすることを止めちゃうみたい。無理無理って。
止めちゃうものが普通、とか常識、とか「そういう枠のようなもの」なんだろうなあ。

最近瞑想やらグラウンディングやら、自分の内側と繋がるようなことをよくしているせいか、嫌とか不安とかそういうものは変わらずあるんだけど、それに対する反応がちょっと変わってきている体感がある。すこーしひいて見ているような。あ、今言われたことに対してムッとしているなあ、とその時に気づくような。
前から内観はしていたけれど、前はもう少し頭優位であったなあ。
ただそのまま、そうだなあ。って感じることを増やしていくと、イメージ、状態の想像もしやすくなっていくのだろうな。


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