ルー=ガルー 忌避すべき狼 感想
It is difficult to stop reading the books..
今日DMM英会話で言ったわ。
コンプレックス刺激し過ぎて進まない「邪魅の雫」の後に読もうと思ってた、ルーガルーシリーズを2日間で完読してしまった。
別に初回な訳でも、2回目なわけでもないのに。。止まらないのが京極夏彦。
読み終わった後に、いろいろ検索してた結果、「ルー=ガルー3 ハルピュイア 穢(けが)れし鉤爪(かぎづめ)」というのが10年前に計画されていたらしいことを知った。よみた、、い、、です。先生。
ーーーーーーーここからネタバレ(京極夏彦作品全般)
読書で立ち上がるものは人それぞれ違ってそれぞれ正しい。と京極堂がきっとどこかで言ってた気がする(苦笑)けど、本当にその通りだと思った。だって、同じ私が読んだって全く違う受け取り方をするんだから(過去と今の私が同じ、かということは別問題として)感じ方の違いを楽しむ読書になった。
ルー=ガルー、近未来(2035年程度らしいが)の東京における14歳の少女等の活劇が描かれる。
出発年が2001年だそう。iPhoneがSBから発売されたのが2008年らしいので、日本人ほとんどケータイを利用してた時に初めて読んでいるはず。
一方今は、2021年。2035年まで後14年。人はスマホ(端末)で画面(モニタ)を眺めて過ごし、コロナ禍で消毒液を持ち歩き、Work From Homeで一度も会ったことがないメンバーとテキストデータだけのやりとりで仕事をしてる。サンフランシスコの金持ちたちは培養肉だって食べてる。
これほど今読むのに適した本があるのか。
今の私には、外気から切り離されて、春夏秋冬/晴れ曇り雨、何ひとつ生活を変えず、ただ無為に動画を消費して一定の温度が保たれた狭い部屋の小さな窓からのぞく空の色が少し変わるだけの日々を送った経験がある。平面のモニタで感染者という数字情報を眺めてる日々も、1ヶ月間<QuickPayで>以外の言葉を使わなかった日々の経験も。
だからなのか、作中に出てくる匂いの表現で、ふっと私のなかに立ち上がった記憶は懐かしく。。森のにおい、雑踏とか雨とかの匂い。。それから肌への刺激。ジリジリする紫外線、汗ばんだTシャツとふっととおる風。お腹がすいた時に食べりるご飯の美味しさも、喉をならせてのむポカリスエットとか。それこそ14歳ぐらいの時の記憶がふっと喚起されて、それがすごい遠い過去な気がして寂しくなった。
逆に消毒液の匂い、会議室でばらまかれるエアロゾルへの嫌悪感のリアルさは尋常じゃない。「同じ空間の空気を吸いたくない」がこんなに共感できる日がくるとは。静枝の指も、今の私と同じように消毒液でかさかさになってるに違いない。
受け取り手の経験によってこんなに文章から立ち登る感覚が違くなるのだなと。葉月がリアルを取り戻す過程と一緒に、私も過去の経験からリアルを思い返してた。
そして初回読んでいた私と今の私で決定的に違うのは<働いていること>だ。矢部への連絡が遅れた時の焦燥感、意思に沿わぬ仕事の虚脱感、歩未から信じてると言われたときの、、救われた思い。(静枝については同業の母親を信じなかった子供/自分という過去があるのでもっと深いだろうが)
共感するとともに、都度都度自分に問いかけもする。同じ立場なら同じことができただろうか?静枝、結構優秀で。。あそこまで臨機応変に対応して、子供から質問の答えを言い切って、大人として対応できるだろうか。。多分できない。。世界と渡り合う覚悟ない。。
もはやこの休み中に10,000ページレベルで京極夏彦小説を読んで,頭の中の地の文が京極夏彦化してくると,結末とか伏線回収とかいっぺんにどうでも良くなって,それぞれのページで沸き立つ何かを楽しむという謎状況になっている。
ディストピア小説といえばそうだが、どちらかというと現代にある問題を解決した上での世界として描かれている。管理されない今がいいという単純なそれじゃない。現在の問題を克服した上で,人は猥雑なもの汚れた物を隠してデータの世界で生きるようになったけど、それでも人はケモノでしかない。血にまみれて生まれて血にまみれて死ぬ。そこを折り込めってことかな。。
この小説の未来設定は公募だったらしい。今だって2030やら2040未来予測した書籍はたくさんある。2001時点だって,京極夏彦なら研究状況などなど見て2020くらい簡単に想像できたんだろうなー。だからこの方向性で進むことはある程度折り込んで,それが世界の<改善>の結果,「どーぶつやめるつもりらしいけど、できる?」っていう問題提起なんだろうかね。
だって、私はあの森の匂いが懐かしくてたまらないし、雪溶け水に足を浸して蝉の声の中、暑い暑い言いながらお茶飲んでいたいんだ。都会のFlashyな魅力を楽しめない今、多くの人が気付いてる。
<戦争>で<生きるため>に<人の肉>を食った<鬼>なんて、二次元モニタの正反対の存在すぎる。そしてそれはもう生かされているだけの老人で、あのチューブかケーブル切った時、終わったんだけども。
(ルーガル2の方は感想別に書くことにしよ。。長すぎる)
そしてこの小説は、もちろん「百鬼夜行シリーズ」の未来版で、概ね同じ構造を持っているはずなんだけど。
ルー=ガルーって。。祓われてないよね? 普通京極堂が祓ってくれるんだけど…落ちたとしたら静枝の母への思いな気がしてて、最後ガラスに映った疲れたいやな女の顔はきっと母に似てて、世界の誰かが不幸でも自分の大事な子供達が生きてたことに安堵したことで母を理解して落ちたのかなって。あなたも同じだったのねって。
けど、ルー=ガルーって結局何だ?最初は邪魅とか魍魎と同じ系か?ふっと通り過ぎる悪意か殺意か?だからシャルルペロー「そして狼は赤ずきんを食べてしまった」で、歩未が取り込まれたこと?って思ったけど。。
ルー=ガルー2の結末見て思った。これって人間の中に狼が紛れてて、遭遇すると奇禍にあうそんな存在ってこと??<いないことになっている>って犯罪者だけど犯罪者ってことになってないで、隠密に動く(公安)ってこと?
ということはシリーズ通りして、祓われないってことかな。ルーガルーは。
とにかく最初から最後まで泣きっぱなしで、本当心を揺さぶられた楽しい読書体験でした。
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