見出し画像

ヒトごろし 感想

ヒトごろし、という物騒な本を読んだ。
凶器になりそうな厚さのブロック本だったので、電子で。
題材は新撰組。
京極夏彦、作。

最初にいえるのは、
熱烈な新撰組ファンなら読むのやめろ、に尽きる。
そうでもないなら是非読んで欲しい。
。。と言っても、それで京極夏彦をよんでくれた友人は一人もいないけれど。

(以降ネタバレ注意)
最後の圧巻の展開に、ボロ泣きした。
まさかボロ泣きすると思えない設定なのに、
そしてなぜ自分が泣いてるのか未だに分からない。

この本の特異点としては、以下だろう。
1.キャラ設定
2.前後の対比

1.キャラ設定についてだが、
主人公であり一人称の土方が、サイコパスという斬新設定。
※ちなみに沖田もサイコパス。

幼少期にトラウマ/性的倒錯、共感性に乏しい、人を操作する、計画性が高い、高いカリスマ性、魅力的。。。。
土方歳三が、the 秩序型殺人鬼。

幼少期から自分の欲求が何なのか探り始めて、段々と洗練されてくる手段、。邪魔なもの、美意識にそぐわないものを図って殺していく。ヒトごろしとして成長していく。

前段は、人との関わりの中でどう影響を受け、成長していくか。策略をどう巡らせるかを、史実の解釈を異にすることで表現されていく。。
※ちなみに、私の新撰組知識は、受験勉強でチラッと聞いたことあるレベルなので相当低い・・銀魂みても元ネタわからんくらい。

新撰組って、儚くも美しく散ってゆく男たちの青春群像劇みたいな、美化されたイメージがあるんだけど、そうでもない解釈もありかなと。
※沖田とかずっと溝鼠扱いされてたし。頭のなかで、ずっと悪い顔してる銀魂の沖田だった。。笑


2.対比の部分、
斬新な設定だけでもすごいのだが、
歴史の移ろいの中で、戦争が変わり、戦争が人を人でなくしてく(疎外というのか)様が描かれる。

今まで、土方は人の世のなかで人外だった。自分以外が真っ当で、自分が人殺しだった。だから自分と周りを調整するために新撰組を作った。

だけど、戦争では、兵隊は人ではなくて数、誰が死んだとは言われない。殺すほうもただの機関、誰かに指示されて、肉を刺す感触もない大砲や銃でただ引き金を引く。人が人によって殺されたのではなくて、数が戦争によって減少するような世界に変わる。

今まで人外だった土方が、戦争の中ではより人らしくなり、周りが自分よりも大義名分なんかのために、人ではくなっていく。そっち側だったくせに、いかれてるんじゃねーよと困惑しつつ、まだかろうじてヒトであるものを土方は救っていく。

ヒトごろし(そういう願望を持っていること)は、生きていくだけで罰を受けているようなもの。だから沖田も子供のときに殺してやればよかった。

涼には、戦争なんて人でないものに、撃たれて汚らわしく殺されてほしくない。俺が、土方歳三の手で綺麗に殺してやる。執着。

もはやちゃんとヒトがヒトを殺すという形であることが愛情表現。

こんな戦争を止めてくれ、俺を止めてくれと最後に願う。

誇りだか意地だが、忠義だ正義だが、武士道だが維新だが知らないが、結局あんなものに寄りかかるしかないというのなら

俺は「ただのヒトごろしだ」
そんな理由なんかいらない、ただヒトごろしをするためにヒトをころす、人外としての罰を受けながら生きた、それでいい。



と、そんな感じに受け取ったけども、その辺は人それぞれかも。
最後の解釈は特に。
とにかく殺人鬼がただ死んでいくのになんでこんな泣いてるのかわからないという謎感情に襲われております。

猛烈な反戦。理由があれば殺していい、何してもいいなんてことはない。戦争はヒトをヒトでなくすシステム、大義名分をかざし、責任を分解し、リアルから遠ざける。幕末よりもさらに高度に分解されバーチャルになった<必要>な戦争は今もあるんだよなぁ。と。


最後の大立ち回りは圧巻。胸熱。
近藤、山南、勝海舟あたりとの会話、もう一回読もう。。


サイコパスだからといって殺人鬼になるわけではない。あのトラウマ体験がなければ、殺人衝動に襲われることもなかったかもしれない。
時代の変わり目にはきっとこんな人とは違う、要は人外みたいなヒトが現れて、同調圧力押しのけて新しい時代を作るのかもしれないなぁとか。

とにかく1000ページあるけど。そこは気にせずにまず読み始めて欲しい。






この記事が参加している募集

#読書感想文

191,896件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?