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ディレクション日記「ブースで客観視をもつためのキーワード”おもしろくなってきやがった”」


ナレーターが一番怖いのは、ディレクターからの「悪くないけど良くもない」の返事

ナレーターの皆さん。ナレーション中。感じたままプレイしても、ディレクターの返事が「‥‥うーん‥‥」ってとき、ありますよね。

そういう時。ブースの外のディレクター陣にはさまざまなことが起きています。

メインで作品作った人にとっては今のプレイでも良いんだけど、制作リーダーにとっては「何かが違う」など‥‥ディレクター陣がそれぞれに大切にしているものが違ったり、上下関係など、作品だけを見ているナレーターにとっては、ちょっと実感しづらいことだったりもします。

そんな中。
兎にも角にも制作リーダーは、プレイの違和感について、言葉を尽くして説明しようとしてくれます。

その言葉を受けてプレイヤーは言われた通りリテイクするのですが‥‥

リテイク2回目、3回目。ブースの外の”あるある”


幸いにも2回目のテイクが良かった場合。
大体、ブースの外では「おお〜!さすが感性良い!」などと唸ってます。(でもこのときディレクターは大体の場合、ナレーターに好感触だったことは伝えてくれません。空気を切らないことで”このままエエ感じで間髪入れず次のブロック録りましょう!”って心理になってることが多いからです)

問題は、引っかかったところの3回目を「‥‥うーん‥‥なんて言えばいいのか‥‥え〜っと‥‥うーん‥‥」って返事の時。ナレーターからすると、ちょっと煮え切らないというか、歯になにか詰まったような言い方をされる時です。

大体の場合、ブースの外にいる主導権を持っているディレクターからすると「二回目のプレイでも全体的に決して悪いものではない。けど、ディテールにちょっと”甘い”ところがあって、視聴者の関心が作品ではなくそちらに引き寄せられないか心配」などのことが多いと思います。
あくまで経験上ですけどダメな時はダメって言うはずで、それでもあえてう〜ん‥‥って返事なわけですから。

心配の原因は、表現(芝居)の微妙な違いの時もあれば、ちょっとしたアナウンス的な発音やトーンや滑舌、音の高低による構築の違いなどの時もあると思います。

ナレーター的には「自分がやりきれたかどうか」で判断してしまいがちですけど、制作陣からすると「俺はいいと思うけど視聴者にはどう聞こえるのだろうか」「ちょっと言葉滑ってる気がするけどぎりぎり”味”ってことで通じるかなぁ‥‥視聴者の集中力が切れちゃわないかなぁ‥‥」という『自分ではなくて放送時、つまり”次の”ステップ』が見えている時に起こりがちなのが「‥‥うーん‥‥」なわけです。


スリーアウトチェンジの時。

ここからはディレクター向けの話。

ナレーターが三回もやり直すってことは、言葉を尽くそうが、振り付けをしようが、読み手はどこかピンと来てないままってことです。

例えばプレイバックを聞かせたとしても何が違うかカチッとは来てくれてないのです。
おそらく、自分の感覚と違うことを要求されてるからだと思います。

自分の感覚と違うところに表現を落としてくれって言われてるわけですから、これはなかなか難しい。それこそ読み手が「良い意味でも悪い意味でも作品に”まみれて”いるとき」プレイバックを聞いても自分では問題無く聞こえてしまってるはずだからです。

他人の感覚で作られた作品について、実際にブースでナレーションを読んでみればすぐわかることですが、読みながら作品の世界観に一度入り込んでしまうと、なかなか客観的にはなれないものです。

こういう点は、プレイヤー経験のないディレクターには、ぜひ実感していただきたいところではあります。

とはいえ、プレイヤー側もそこまで尊大な人は少ないはず。なんでもかんでも自分が正しいとも思ってないと思います。

そこで、ただただトークバックから聞こえるディレクターの声のトーンから「何かが違うっぽい‥期待に応えたい……けど何が違うかわからない……説明されたことは頭ではわかるんだけど、どうすればいいのかがわからない‥‥」と焦るのみです。

やばいのはプレイヤーさんが謙虚で、その謙虚さが裏目に出てしまうとき。
「私程度の視野で考えたり感じたりせず、ディレクターの意図に沿うべき!」と落とし所がわからないまま目隠しして、とにかく南無三!って振り下ろす。もはや『表現のスイカ割り状態』です。

で、ナレーション読んでもらったは良いけど、やっぱり違うっちゃ違うし……う〜ん‥‥でも時間も迫ってるし‥‥ここは学校でもないし‥‥自分の感性が正しいかどうかもわかんないし‥‥ってディレクター自身が疑心暗鬼に囚われていくことって、予想以上に多いんじゃないかな?と思います。

そこで「なにか違うけど‥‥ま、いっか‥‥しゃーないわ‥‥ごちゃごちゃ言いすぎて崩してしまうよりは‥‥」と棚上げしたことのないディレクターや演出家って、この世にいないんじゃないでしょうか‥‥


必要なことは客観視(プレイの集中力は当然客観視を奪うのだから)


プレイヤーとディレクターの中間に位置する僕としては、このとき必要なことは「プレイヤーの客観視」だと思います。

でもなかなか難しい。
良いプレイを導くための「集中力」とは、当然のことながら「客観視力(俯瞰力)」と引き換えに手に入れるものですから。

プレイヤーのナルシズム‥‥と言われればその通りの部分もあります。ですがナルシズム抜きにプレイなんて出来るわけないのです。

もとより、相入れないものではあるのです。


解決策:ディレクター向け

もし時間に余裕があるなら、リテイク部分を後回しにして、全部録った後に、いっぺんナレーターをブースから出してあげて、できればタバコ休憩なり雑談するなりして、耳と脳をリセットして、その後、一緒にミキサールームのスピーカーでプレイバックを聴く、というのが一番ベストだと思います。

ヘッドホンってのは、予想以上に「なんでもかんでもエエ感じに聞こえる」ものだったりするものなんです。

また、ブースのし〜んとしすぎる感じとか、最低限必要な言葉だけをトークバック押して伝えられる感じもまた、ナレーターとしてはもやもやするものです。人間はノンバーバルなコミュニケーションが8割以上なのに、ブースの中ではそれが封じられているのです。
(なのに窓からディレクター陣の表情だけは見える。ので、邪推が心を埋めるのです)

新人は特に「リテイクを言い出しても良いかどうか」すら迷ってたりします。できれば製作陣から『聴き直してみる?』とか声をかけてあげていただければ。

プレイを録り直すだけではありません。「ディレクター(や視聴者)の側になってものを考える」という体験じたいが、新人プレイヤーにとってかけがえのない財産になると思います。


解決策:ナレーター向け。


とにかくブースの中で決して焦らないでほしいです。とにかく何度も心に刻んでほしいのが「う〜ん‥‥」って返事は決して否定ではないってことです。間違ってたらちゃんと違うって言われてるはずです。

「半分良いんだけど」のポジティブ面を信頼し、まずは自分に自信を持つべし。その上で、できれば声に出して、こう、嘯いてほしいのです。

『おもろくなってきやがったぜ』と。

面白くなってきやがったぜが難しければ『ひゅう♪おもしれぇディレクター♪』とか。少女漫画ミームにある『へえ?おもしれぇオンナ♩』ってやつです。

上記は、ふざけてるみたいに聞こえると思いますけど、実は大真面目におすすめしています。


ナレーターは、「ギャラをもらうって意味で」与え手側でいなければならない

アホみたいな解決策ですけど『ひゅう♪おもしれぇディレクター♪』この言い回しをするだけで実は、心理学(脳科学?)的にも、”追い詰められてる自分を俯瞰で見ている”と、脳に教えることができるからです。

俯瞰とは客観視のことです。ブースの外にいることです。視聴者の気分になることです。

ナレーターが忘れがちなこと。「ブースの中の自分とは、作り手でもなければ視聴者でもない、世の中にたった一人しかいないという”異常”で異端な状態だ」ということです。

視聴者というマスに向かって共感を呼ぶには難しい状態なのです(ナレーションをアーティスト的にプレイするのであれば話は変わってきますが)

『ひゅう♪おもしれぇディレクター♪』という「謎の”上から目線”』は決して馬鹿にできるものではありません。そう嘯いた瞬間、あなたを”与え手”の立場に立たせるからです。

『ひゅう♪おもしれぇディレクター♪』の後には「どう読めばいいですか?」なんて、結局自分を追い詰めてしまうような質問は出てこなくなると思います。

「ひゅう♪これならどうする?」とか「オッケ、じゃ、このパターンもあるけど、どぉ?」などと、スパダリ単語しか出てこなくなるでしょう。

スパダリ単語とは「ぶら下がる側」の思考ではなく、あくまでも”与え手側”の発想にいる、ってことなのです。お金を取る側ってことですね。

ディレクターとしては「出てきたものを好き嫌いで選ぶだけで済む」状態になります。お金払ってプロを呼んだ甲斐があるってもんです。

(一部、クリエイティブなディレクターには「最初から全部見えてて自分が言った通りにプレイしてくれれば良いのであって提案とかウザいよ馬鹿」って人もスタッフもいらっしゃるとおもいます。そういう天才系の方は2回目のリテイクからエッグエグなことを注文してくると思います。「成果を出してるクリエイター」なら死んでもついていくべし。ナレーターに幸あれ)








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