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ウズベキスタンと唐招提寺

仕事の縁で、ウズベキスタンに興味を持ちました。

ウズベキスタンの歴史に詳しい人から、唐招提寺との関係を教わり、以下にまとめます。


唐招提寺:https://toshodaiji.jp/

歴史の授業で一度は見たことがある鑑真和上像、日本人にとって馴染み深い鑑真さん所縁のお寺。

安如宝:幼少期を唐で育ち、鑑真の門をたたく。法名の安から、安国(ウズベキスタンのサマルカンド地方)出身の説有り。鑑真とともに平城京に着いたのは、754年。

日本の正史の一つ、『日本後紀』に如宝の記述があります。

戊戌 律師伝灯大法師如宝が次のように言上した。
 招提寺(唐招提寺)は唐の大和尚鑑真が朝廷のために建立した寺であります。…(中略)…
 戒律を学習させるようになってほぼ五十年を経過しています。仏教の教説を記した経典と戒律を記した律は備わっていますが、購読が行われていません。これは鑑真の予ての思いに反し、仏教の教えを広めようとしたこの上ない志を満たしていません。そこで伏して、永く経と律を購読することにし、賜田の収益を律の購究の費用に充てることを要望します。…(後略)…
引用文献:森田 悌, 『日本後紀(上)』, (講談社学術文庫, 2006), 307P


これは、当時増えすぎた私寺を制限する目的で田地売買が禁止されている中、学びの場としての唐招提寺の経済的基盤を得ようと、如宝が申請したという内容になります。(参考:内藤 栄.2000.「創建期唐招提寺の造営経過」『藝叢 :筑波大学芸術学研究誌 』3:49-69.)

この申請が許可され、唐招提寺の中興を支えた事が如宝の功績の一つとされています。


およそ1300年前に遠い異国から来日し、日本の宗教に尽力。その歴史に浪漫を感じずにはいられません。


それでは!





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