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東京大学 学費値上げに思うこと

 2024年5月27日、学費値上げに関するアンケートに書いた私の文章を載せておこうと思いました。


 私は、東京大学の学生として、東京大学の授業料の値上げに反対します。そして、もし値上げをする場合は、学費減免措置の拡充に賛成します。

 しかし、「授業料を値上げするが、学費減免措置の拡充をすれば問題はない」という論理は、大切なことを見落としていると考えます。

 まずは私の置かれている状況を説明します。
 なお、学費減免を受ける学生は奨学金を併用する場合が多いと思いますのであえて奨学金についても書かせていただきます。

 私は、東京大学入学時から三種類の奨学金を受給しています。給付奨学金が二種類と、日本学生支援機構の貸与の第一種奨学金です。地元は関西なので、東京大学の宿舎で一人暮らしをしています。
 しかし今年度から家庭の事情が変わり、生計維持者が働けなくなり、世帯収入が非課税世帯に分類される見込みになりました。それにより現在、従来の奨学金に加え、学費免除と日本学生支援機構の家計急変採用の給付奨学金を申請しています。
さらに、今年度九月から東京大学の制度で交換留学を予定しているため、そちらの方でも四種類ほどの奨学金の申請を行なっています。

 つまり、私は今まで、八種類の奨学金と学費免除を申請してきた経験があります。

 私が東京大学の、学費の値上げを検討している方々にお聞きしたいのは、
「あなたは、学費免除や奨学金の申請を自分でしたことがありますか?」ということです。

 当たり前ですが、学費減免措置を受けるには申請が必要です。その申請書類は、しばしばとても複雑で多岐に渡ります。
 書類には、学生自身が用意するものと、学生の生計維持者が用意しなければならないものがあります。また、私のように生計維持者が遠方に住んでいる場合、マイナンバーカードのコピーの貼付、生計維持者の署名の記入などには郵送の手間と日数が必須です。つまり、申請は、学生本人だけでできるものではなく、生計維持者の協力がなければできないものなのです。申請は、東京の中でちゃちゃっと完結するものではないのです。

 そして、「学費減免措置」は、学費を減免「する」側だけの問題ではありません。
学費を減免「される」学生、すなわち、学費減免を「申請する」学生にとっての問題でもあります。この類の措置は、「申請したから、免除される」というような簡単なものではないのです。

 学費減免や奨学金の申請は、自分の忙しい生活の中で申請に時間を割き、不備がないよう何度も窓口に確認に行き、自分が置かれた経済的立場を繰り返し自覚する作業です。特に東京大学では奨学金や学費免除を利用する学生がマジョリティではないため、自らの経済的立場を自覚するとき、しばしば周りと比べて自分が経済的に「劣位」にあることを痛感します。

「なんで自分は、借金を負わずに学ぶことができないのか」
「なんで自分は、こんな手続きに時間を使わなければならないのか」
「なんで自分は、お金を借りなくても大学に行けるお金持ちの家に生まれなかったんだろう」

 自分の置かれた立場を、今まで育ててくれた大好きな親を、否定したいわけではありません。周りを恨みたいわけでも、卑屈になりたいわけでもありません。学業やサークル、バイトなどの大学生活が充実していないわけでもありません。自分は書類を読むことができ、親の協力が得られ、生計維持者と戸籍上の親が一致し制度の恩恵を受けられる、恵まれている立場だと思ってもいます。それでも、申請書類に一人で向かい合っているとき、このように感じる瞬間がどうしてもあります。自分の生まれた環境を、自分の家庭を、「劣っている」と感じざるを得ないことは、とても残酷なことだと思います。

 駒場の奨学金や学費免除の窓口の担当の方々は、とても親切に対応してくださいます。出さなければならない書類の多さと手間に圧倒される学生に寄り添い、何度もチェックをして申請を支えてくださいます。本当に、東京大学の職員の方々には感謝しています。

 それでもなお、私は「授業料値上げ」「学費減免措置の拡充」という言葉の裏に確かに存在する、「申請が通らなければ『学生』ではいられなくなるかもしれない若者」の存在を主張せずにはいられません。

 私たちは、なぜ、自己否定をしなければならないのか。なぜ、劣等感を抱かなければならないか。

 学費減免措置はとても素晴らしい制度だと思います。私もそのおかげで、東京大学に通い続けるだけでなく、留学にも行くことができそうです。
しかし、学費減免措置だけでは、学費以外は賄えません。奨学金が必要です。奨学金は、給付もありますが、そのほとんどは貸与です。つまり、借金です。

 同じ大学で、同じ教室で、同じことを学んでいるのに、何百万円の借金を背負って卒業する学生と、一円も借金を背負わずに卒業する学生がいる。私はこの事実を、どう受け止めていいかわかりません。借金を背負う側の私は、この違いを「仕方ないこと」「些細なこと」だと思うことができません。

 私はたくさんの給付奨学金と、貸与奨学金と、学費減免措置のおかげで、東京大学に通い続けることができそうです。しかし一方で、たくさんの給付奨学金と、貸与奨学金と、学費減免措置のために、時間を使い、自己の「劣位」を認識し、借金を積み重ねています。

 授業料を値上げすることは、さらに多くの学生に、各種制度の申請をすることを要請することです。学費減免措置の拡充も同様です。そしてさらに多くの学生が自己否定感や劣等感を、程度の差はあれ抱くでしょう。

 「あなたは、学費免除や奨学金の申請を自分でしたことがありますか?」という問いは、大学の制度についての議論には「ふさわしくない」ものかもしれません。なんの数値にもなりませんし、客観的でもありません。とても個人的で、情緒的な、些細な問いです。

 しかし、それでも私は、この問いを考えてほしいと思います。この問いは、考えるに値する問いだと思います。この問いを投げかける存在の想いを考えずして、「東京大学」が存在する意味は、どこにあるのでしょうか。

 私は東京大学で学問の楽しさを知りました。色々なコミュニティで、たくさんの素晴らしい先生や友人と出会いました。この環境で、もっと多くのことを学びたいと思っています。そして、この大学で学んだことを活かし、誰かが夢ややりたいことを諦めそうな時に、諦めないでいいと言える社会制度をつくりたいと思っています。

 色々な事情があっての提起だと思いますが、このように考えている学生が、いつの時代も、確かに存在することを考慮した上で、判断していただければと思います。

 

 このnoteは、自由にシェアしてくださって構いません。授業料値上げを「仕方ないよね」「合理的だよね」「自分にはそんなに関係ないかな」と思っている方にこそ、知ってほしいと思っています。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

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