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介護の難しさの備忘録

鞆の浦・さくらホームスタッフ、高本です。

わたしは新聞記者から介護職という、
少し変わったキャリアチェンジをしたので、
転職当初は、いや、正直半年、いやもっと、むしろ今も、あっぷあっぷの毎日でした。

介護は思っていた以上に技術職だったからです。

まず超えなえればならないハードルは、
他人に触れる、ということでした。

高齢の方の皮膚は薄く、骨は細い。
祖父母は小さいころに、病院で亡くなったため、介護が必要な方を身近にみる機会自体、少なかったわたし。
けがとかさせてしまったら?と、どう触っていいのかが分かりません。
腕をとるのもおそるおそる、車いすを押すこともおそるおそるの日々でした。

身体に触れるということは、時間の経過とともに多少は慣れるものです。
私は未経験がゆえか、性格か、介護のこの「パーソナルスペース」に入り込まないといけない部分に、ずっとプレッシャーを感じていました。

介助のために、触れるなら、せめて技術がないといけない。
そう思いました。

入浴でも、排泄でも、介助はなるべく手早く、終えなければいけません。
そうすることで、身体の、きわめて個人的なエリアを触られている、相手の負担が減るからです。

しかし、なかなかできるものではありませんでした。

介護現場では、実際のところ挫折の連続です。

歩行に支えが必要な方に対して、
どこをどう持ったらご本人が楽なのか、見当もつかない。
(そういうときはもちろんすぐにほかの職員に聞きました)

入浴介助にしても、
最初は衣服の着脱の順番さえわからず。
(調べたらいいのにと思いますが、
着脱に順番があるということに思いが至らないんですよ)

職場の作業療法士に指導を受け、
車いすからベッドへの移乗などにチャレンジしてみるも、利用者さんからは「痛い!」と悲痛な声。
(本当に申し訳なくて、毎度へこむ)

技術不足の私が現場にいることに、
多大な申し訳なさをずっと抱え込んでいました。
まるで社会人1年目に戻ったかのような挫折です。
(なんだか暗い文章になってきましたが、30歳過ぎて1年目のような挫折ができるなんてわたしは幸せ者です)

悩みながらも現場に入っていたある日、ホームの居室からコールがあり、
「足が痛いんじゃ」という利用者Aさんに付き添っていました。
Aさんは日常生活のほとんどに身体的な介助を要し、
居室のベッドで過ごす時間の長い方です。
きっと、足は本当に痛かったんだと思いますが、それよりも居室に一人なことがさみしくて、職員を呼んだのだと思う、そんな場面です。

足をさすりながら、Aさんと雑談をするうち、
わたしは「Aさん、わたしが介護をうまくできんでごめんね」と、漏らしてしまいました。

その時、ほぼ眠りかけていたAさんは、
ぐわっと目を見開いて、足元にいるわたしをにらみつけて、「謝るな!慣れてないだけじゃ!」と叱責してくれました。

大事なことをいうと、移乗の下手さなどなど故に、わたしは入社以来、Aさんに怒られてばかりでした。

あんまり怒られるので、Aさんの居室にいくのにしんどさを感じてしまった時もあります。

まさか、いつもの怒りのテンションで、アツイ激励がくるとは思わず、足をさすりながらかなり笑ってしまいました。

笑ってたらすぐさま「何を笑っとるんじゃ」と怒られたので、真顔に戻って謝りました。

そんな単純な話ではないので、
この日から、技術力不足の申し訳なさが消えたわけではないですが、
むしろ申し訳なさは学びへのモチベーションになるべきだと思いますが、
余計なプレッシャーはすうっと消えました。

余計なプレッシャーというのは、
たとえば、駅で気分が悪そうな方がいたとして、「大丈夫ですか」というべきか、いわないべきか、みたいなアレに似ています。


大丈夫じゃなかった場合、わたし何にもできないしどうしよう…と悩んで、結局行動を起こせない、アレです。

無駄に頭でっかちな私は完全にこのタイプでしたが、今は「勝手に体が動く人間」に少しはなれたかなと思います。

何ができるかじゃなくて、とりあえず動く大事さは介護の仕事から教わりました。


「足が痛い」というAさんに対して、
わたしは医療的処置ができるわけではないですが、かといってコールは無視できません。


「足が痛い」の発言の裏にある、不安を読み取って、できる限りそばにいるのも、介護の仕事です。

そこを全部わかって、Aさんと向き合っているさくらホームのスタッフから多くのことを学びました。
「介護は人間修行」とは、よく言ったものだなと思います。

Aさんから「背中が痛い」とコールがあった日、ただ隣にいて、特にしゃべらず、ずっと背中をさすっていたことがあります。

Aさんはほろっと「いつもありがとうな」と言ってくれました。

この時にはもう、私には身体に触れること自体には、抵抗はありませんでした。

介護技術とはまた別の、孤独を感じないための、コミュニケーションとしての、きっと誰にでもできる「人に触れること」の大事さが、分かるようになっていました。



今年、季節が春から夏に変わるころ、
Aさんは慣れ親しんだ鞆町から離れることなく、さくらホームで亡くなりました。

Aさんに長年寄り添ってきたさくらホームのケアマネジャーから、「よく逃げなかったね。見てたよ」と言われた時、正直ちょっと泣きました。
Aさんに出会えてよかったと思いました。

まだまだペーペーなわたしは、介護がなんたるかは語れません。
先月からデイサービスではなく、訪問の仕事も始まり、あっぷあっぷな日々から抜け出せません。

介護って、誰にでもはできない技術を要する仕事です。
でも、きっと、誰にでもできる介護もあります。
そんな、介護の難しさの備忘録でした。

さくらホームスタッフ・高本友子


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