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「地域福祉」を知りたくて、新聞記者から介護スタッフになった話

ことしの春、8年半勤めた新聞社を退職しました。


夏は仕事せず遊びつくし(大事)、秋から福山市の観光名所・鞆の浦(以下、地元での通称「鞆」という)にある、介護・福祉施設「鞆の浦・さくらホーム」にお世話になっています。

デイサービスの介護スタッフとして働いて3ヶ月あまり。未経験の仕事に日々あっぷあっぷするうち、冬になりました。一年はや。

わたしは、新卒からずっと地元・広島で記者をしていました。

―介護疲れで長年連れ添った妻を殺めてしまう
―1週間前に亡くなったのに誰にも見つからなかったご遺体

現場に行って取材をし、当事者たちの孤独の原因を探る。そして「地域に居場所が必要」と記事に書く。それが仕事でした。

本心から書いた記事だけど、言葉は空回りしていないか、無責任ではないか、とずっと怖くもありました。
町内会に代表されるような共同体は進行形で細っているし、そもそも「誰かを頼る」という弱みの見せ方ができる人がどれほどいるだろう。

「地域に居場所がある」がどんな状態をいうのか、記事を書いている私自身、想像がついていませんでした。

そうして「地域福祉」の実現に強い必要性と興味を感じ、実践者であるさくらホームに転職。介護が必要な方たちの「鞆に住み続けたい」という意志を支えるため、訪問や泊まりのサービスを提供している地域密着型の施設です。地域まるごとを知りたくて、鞆の浦に移住もしました。

住んでから気づいたことですが、鞆では認知症の方がよく散歩をしています。
介護スタッフがそばに付くこともありますが、ひとりで歩かれている方もいます。
地域の方は「〇〇さん、どこ行くん!」「よう歩けとるね」と声を掛ける。
昔から知るその方が、認知症になっていると分かっている上で、です。

わたしは、鞆に移住したばかりなので、当然、認知症の方の「これまでの人生」を知りません。
ですが、声を掛け合う姿を見るうちにその「これまでの人生」が何となく伝わってくるのです。

なじみの飲み屋はどこだったのか、その飲み屋で誰と仲が良かったのか。
あいさつをしてくれる人の多さから、きっと家にいるより外にいる方が好きだったんだろう、とか。人から頼られる人柄が自然と見えてきます。

と、いうより鞆の人たちが教えてくれるんです。その時、認知症になり多くのことを忘れても、「地域は、人を忘れない」と気づかされました。

認知症になっても、地域の支えがあれば大丈夫!と言い切りたいのではありません。
声を掛ける地域の方も、もちろんご家族も、過去を思い出し、どうしようもないほど悲しい瞬間はあると思います。

ただ、不安やつらさは分かち合うことができる。認知症になったり、介護度が高くなったりしても、「その人らしさ」を築いてきた過去を地域が忘れずにいてくれる。

そして、さくらホームはその過去を地域から聞き取り、「その人らしさ」を最期の時まで守る支援をするのです。

「地域の居場所」って、単純に場所じゃなく、ありのままを受け入れてくれる人の存在を指すのかもしれません。まだ答えは出ませんが、鞆での日々は気づきの連続です。

こういう話をすると、周囲には「鞆だからできることだね」と言われるけれど、さくらホームの施設長によると、開設した20年前は「あんな状態の人を歩かせていいんか」という声は地域から出ていたそうです。

だとすると、認知症高齢者がふつうに街を歩く、今の鞆は、さくらホームや地域の人たちが続けてきた「まちづくり」の結果だと思うのです。

「地域福祉」「地域共生」「地域包括ケア」がうたわれて久しい現在。
どう実践したらいいのか、手探り状態の「地域」は多いはずです。


これからこちらのnoteで、さくらホームはどうまちづくりに参画しているのか、鞆の住民と共にどんなケアをしているのか、私なりの視点で発信していければと思います。

ご興味ありましたら、お付き合いくださいませ!

文・高本友子

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