見出し画像

ヌードな成人式

成人の日が来ると必ず思い出す事がある。
なぜヌードな成人式??

それは、ワタシが成人式の時に起こった。
30年前のワタシの成人式に、今は亡き祖母からのお祝いのお金と一通の手紙が届いたことから始まる。

ワタシの祖母は大正10年生まれ、約20年前に亡くなっているので、もし生きていたら103歳だ。
彼女は、とある地方の遊郭そばに店を構えた老舗寿司屋の娘だった。
太平洋戦争の前はとても裕福で遊郭からの注文もあり繁盛していたので、お手伝いさんに育てられていた。その遊郭の関係者も出入りしてたからか、耳年増に育った祖母。
戦後は遊郭もなくなり繁盛していた店も店主(祖母の父)が結核になり傾いてしまい、そこからは苦労の連続だったようだが、、
戦争を乗り越えている祖父母の代の方の話は小説が一本書けてしまいそうな激動人生、、おっと、その話が書きたいのではなかった。。

耳年増な祖母は、美意識が高いおしゃれな人だった、、けれど商売屋の娘だったので結構あけすけな発言をする。
ワタシからするとおスギとピーコみたいな、愛ある辛口発言をする祖母だったのだ。
そんな祖母からの成人式のワタシに宛てた手紙には

ともおかんへ。
この成人式のお祝いのお金で、写真館へ行き、ヌードを撮りなさい。

と書いてあった。

、、、は?

目がテン、とはこの事。
振袖での前撮り、おてもやん写真はすでに撮っている(とんでもなくダサいので誰にも見せたくない悲しみ写真でお蔵入りしている)
なぜにヌード?
しかも、ワタシ?????

その数年前に宮沢りえのサンタフェ(とても有名なヌード写真集)が出て、それを行きつけの美容院で見た祖母は相当な衝撃を受けたらしい。
自分の若い頃の写真、ピチピチ時代のヌードを私も撮っておけば良かったと。
戦争があり、そんな事考えてもいられなかったと。

そこで自分の希望を、初孫のワタシで叶えたいと思ったらしい。

当時二十歳の大学生だったワタシはヌードなんて、意味がてんでわからない。しかも写真館?無理、無理。
自撮りしたとて、フィルムだから現像しなければならないし誰かの目に必ず晒されるではないか、そんな恥を晒すくらいなら、と、そのお金を丸々北海道3週間の旅に使った。

今、半世紀生きてみて思うのは、若い人のピチピチ加減がとても眩しいと。ヌードになったら明らかに違う自分と若者との体つき。
ワタシもあの頃は祖母に、そんなふうに思われていたんだな、と感慨深く思う。

人生の先輩たちは今は見る影なくとも、ピチピチしたヌードを撮り、保存したくなるような若い頃があったのだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?