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離れてしまった仲間から受け取った智慧と励まし 「児童精神科医という仕事」を読んで 

今年は暖かい日が長く続いていて、冬はどこかへ行ってしまったのかしら?と思っていましたが、今日は身が引き締まるようなキリッと冷たい乾いた風が吹き荒れていて本格的な冬がやってきたことを感じます。

寒くなると出不精になってお家で過ごす時間が長くなります。
寒い外から急いで帰って、暖かいお家でミンちゃんと一緒にゆっくりと過ごすと、身体も心も緩んでほぐれ、幸せだなぁという気持ちがじんわりと、ゆっくりと暖かく拡がり満たされていきます。
外の寒さがあるからこそ、暖かい幸せを感じることができるのですね。
そう思うと外の寒さもありがたく感じます。

お家では読書をして過ごすことが多いのですが、私が以前一緒に働いていた先生たちが本を出版されたのでこれは読まなければ!と思い買ってみました。

以前noteに書いたことがあるのですが私の看護師としてのスタートは精神科の急性期病棟から始まりました。

私が勤務していた国立精神神経センター国府台病院(今は国立国際医療センター国府台病院に変わりました)は、児童精神科が全国的にも有名で歴史が古く、日本における児童精神科の草分け的存在で、多くのお子さんたちが受診されていました。
私は成人の急性期病棟でしたが、症状の重いお子さんや治療上行動制限を必要とするお子さんは短期間急性期病棟へ入院することがあり、児童精神科の先生たちと一緒に受け持たせていただいていました。

本を読んでいたら、あぁこの話はあの時のことかな?とか、あのお子さんのことかな?と思い当たることも多く、当時の思い出が色鮮やかに目の前で繰り広げられているかのように甦ってきます。
座談会形式になっているので先生たちの声がそのまま聞こえてくるような不思議な感覚になりまるで国府台病院で働いていた時に戻ったかのようでした。

あの頃の先生たちが、悩んだり迷ったりしながら、実直に真摯に子供たちやそのご家族と向き合い、自分自身にも向き合いながら、仲間と支えあい、息抜きしながら乗り越えて今があるだなぁと思い、胸が熱くなりました。

国府台病院の精神科の先生たちはみんな仕事熱心で、文字通り朝から晩まで患者さんに向き合い働いていました。
共に働く仲間としてふざけあったりしながらも、私のなかで尊敬の念は常に持っていました。
そしてこの本を読んでその想いがさらに強くなりました。

それぞれの先生たちが日々子供たちと向き合って紡ぎ出された、たくさんの経験から成る「児童精神科医としての智慧」はまさに唯一無二のもので、その智慧を伝え共有していくことでまた新たな大きな智慧が産まれていく。 
智慧を伝承し、さらに産み出されていく一冊だと感じました。

斎藤先生が繰り返しお話されていた「臨床科としての在り方」は医師だけではなく、人と深く関わるお仕事をされている全ての人に対する大切なメッセージがたくさん込められていて、その言葉に深く反省すると共に、もっと頑張れと励まされたような気持ちになりました。

臨床家として光だけで生き抜くことは、希望ではあってもけっしてかなわぬ夢幻にすぎず、臨床の道はたくさんの子供やその家族の流した涙、そして流せぬ涙を全身に浴びることを避けては通れぬものである。そして、その場にあってなお無力な自分、さらには不誠実な自分に直面し、悔し涙を流す内的体験も臨床科は避けて通ることができない。だからこそ臨床家は光を見つつ、いつもどこかで哀しいのである。本書の対談および座談を終えるにあたり、臨床家は治療の光の部分だけでなくこの哀しみを抱えることから逃げずにいる「人」でなければならないと改めて思った。

斎藤万比古「ラウンドテーブルトークを終えて」より

国府台病院で働いていた時の経験は私にとって看護師としての知識や技術の基礎を作ってくれただけではなく、仕事に対する倫理観や姿勢、そして人としてどう生きるか?どう生きたいのか?何を大切にしたいのか?という自分の価値観や想いについても深く考えるきっかけとなりました。
たくさんのことを患者さんや仲間たち、先生たちから学ばせて頂いて、感謝しかありません。

その時の先生たちから長い時間を超えてこの本を通じてまた新たな学びを頂き、それぞれ働く場所は変わっても深いところで繋がっていることを感じられて、心の底からありがたいなぁと思いました。

頑張っている仲間がいるから、私も頑張れる。

光も哀しみも、全てを受け止めて前へ進んでいこうと思えました。

素晴らしい本をありがとうございました。

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