見出し画像

誰の「語り」も奪いたくないし奪われたくなかった【2022年振り返り:ライター編】

2022年の振り返りをふと、してみたくなって、そしたら、いろんな項目を振り返りたくなったので、あらゆる仕事をしてきた2022年なわけだけど、まずは、記者/ライターとして、ことしを振り返ってみようと思う。

フリーライターになった

ことしは春に、ウェブメディアでの編集記者を辞めて、6月から「フリーライター」「フリー記者」という肩書きを名乗って、活動を初めた。

フリーになった経緯については、それはそれで長くなりそうだから、きょうははしょることにする。

自分は新卒後、マスメディアの記者として社会問題を取材していた経験がいちばん長いこともあって、そうした経歴と親和性の高い、いくつかのウェブや紙のメディアで取材や執筆をさせていただいた。

やってみての感想は、いろいろあって、どこに焦点をしぼっていいか、迷うのだけど、まずはお金のはなしを、ごく簡単に。

ライターのお金のこと、社会的な立ち位置の低さ

あんまり「単価」という言葉は好きではないけれど、まず、「紙」のメディアは、先輩フリーライターさんたちがよく言っていたとおり、ウェブよりも単価(ベースの原稿料)が高くて、安定的に仕事ができるとは思った。

といっても、ウェブメディアにしても紙媒体にしても、わたしが取材執筆させていただいたメディアは、専門性とかも含めてのベースの原稿料に含まれていたから、よく見かける「1文字○円」みたいな最低賃金よりも低いような「ライター」という存在を完全にばかにしきっている初心者案件にくらべたら、まだ全然恵まれてはいた…

とは思うのだけれども、フリーライターになってみて感じたのは、「ライター」というものにおける社会的な信用度や、立ち位置の低さだった。こんな低いんだ、こんなに信用されてないんだ、ってことがたくさんあった。

まあ、いろいろお金だったり、理不尽なところだったり、細かいところはいろいろとあるのだけど、話したらキリがないので、これもはしょる。

「わたしは、わたしのことを人に語らせたくない」と気づいた

それで、自分がこの1年間、フリーライターとしてやってきて、気づいたことがあって、それをいちばん、ここで言葉にしてみたかったんだった。

それは、わたしがこれまで全国紙をはじめとする記者や、ことしからフリーの記者としてやってきて、さまざまなテーマや人を取材、インタビューとかしながら、いろんなたくさんのもやもやを抱え続けてきて、最終的に行き着いたのは、「わたしは、わたしのことを人に語らせたくなんてない」という感情だった。

同時に、少なくとも自分がそう思うことを、自分イコール他人はちがうけれど、他人にすることに、もやもやしたり、とても抵抗や、葛藤を持ち続けてきたことだった。

そう気づくにいたって理由を2点ほど簡単に、列記してみることにする。

「当事者意識」というものが、まったくなくなってしまった経験

①自分自身も、あらゆる”当事者”でもあったことから、「この人なら」というに記者に取材をお願いされて、それが記事化されたことが何度かある。

彼女の書く記事や、取材は、とても信頼していた。だけど、記事になったとたんに、「これはわたしの話ではない」と、そんな彼女の記事にさえ、おぼえた。

もちろん、わたしであって、わたしの首から下の写真だって、それはわたしなのに、「当事者意識」というものが、わたしにまったくなくなって、その話は、わたしからまったく手が離れた、別世界のものに見えたという体験。

「うまく書いてくれてありがとう」と言われて、ショックを受けた体験

②かつて自分が運営していた行政のウェブページで、東北の文化や風習にまつわるコラム執筆していたときのこと。

その内容の一部が、キー局の検索にひっかかって、地元の人たちが地上波デビューすることに。

そのときの関係者が、「キー局に気づいてもらえるうまい文章を自分たちの代わりに書いてくれて、ありがとう」と言われたこと。

これは、すごくもやもやしたし、ショックだった。

「ライター」と自分とは折り合えず、標榜するのをやめた

ことし6月、フリーライターになって、「ライター」というお仕事の、社会的信用や地位の低さや現実ーーむしろ、わたしの長くいた「マスメディア」という世界のほうが、特殊だったのかな、という現実に気づくにつれ、①②の経験は、フリーライターになる以前の出来事なのだけど、シンクロして思い出されるようになってきた。

俗にいう「ライター」というのは、たぶん、わたしのようなイメージをもっているほうが少数派で、世間一般の常識的からすれば、わたしは頭がカタくて、使えない人、といったら、それまでなのだとは思う。

食っていくためには、”書く”ことにまつわる仕事は「ライター」が担うのだけど、わたしは、どうしても、より多くの人が期待する「ライター」は無理だ、ニーズを満たせない、折り合えないとも感じ、「ライター」と標榜することを、標榜して半年後の12月に、辞めた。

「もっと安く書けるライターはごまんといる」

ある日、オウンドメディアを新規で立ち上げたいというクライアントから、「あ、取材とか、別にしなくていいんで、そのへんに落ちてるウェブ記事からパクって、そういうふうにバレないように、うまくリライトしてもらって、キーワードさえちりばめてくれればそれでいいんで」と言われた。

わたしはこの仕事を取り組む気持ちに、どうしても、がんばろうとはしてみたけど、どうしても、なれなかった。

とりあえず、「幕の内弁当」のように見栄えのするものだったら、なんでもいいです、と言われているようだった。

だけど、こんな幕の内弁当づくりのような仕事にありつくために、我こそはと差別化をはかるたくさんのライター志望者がいて、しのぎを削りあっている。

「文章で生きていく」ということに、本気で戦っている人たちが、ごまんといる。

わたしが、そんなような場所で戦い始めたら、それは、自分以外、全員ボディビルダーのなかで、わたしが筋トレを始めるようなものだ。

文章で稼いでいくという本気度からして、わたしはかなわないと思っていた。

先方からしたら、わたしなんかには「もっ安く書けるライターなんて、ごまんといるんだ」というだけのはなしだ。

実際、どうやって依頼を断ろうか少し考えていたら、「もっと同じ条件で安く早くやってくれる人が見つかりましたんで」とこの仕事は去っていってくれた。

「ライター」というのは、そんな社会的価値なのだ。

「うまく」書けて感謝されることにまったく喜びを見出せなかった

それで、いろいろ、何度も、考えた。

「うまく」「早く」書けたことで、クライアントが喜んでくれたことに、そこにいちばん、やりがいや喜びを見出せる人のほうが、圧倒的にこの世の中には多いのだということについて。

だけど、わたしは、考えたけど、どうしても、わからなかった。

自分の喜びや、やりがいは、そこにないのだと、やはり思った。

それで、②でショックを受けたエピソードがシンクロして思い出されるのだった。

②の話を、広告関係の友人たちにに話すと、「え、自分の書いた記事が、そんなきっかけになって、クライアントに褒められて、めっちゃうれしいじゃん!誇らしいじゃん。mieはおかしい」と言われたり、「そのへんなこだわり、独特だよね」とかいわれる。

そうだろうか…。

「語り」がないがしろにされる憤り、虚しさ

いろいろ書いていると、終わりそうにないので、そろそろ〆の方向に移ろうと思う。

わたしは、他人に自分の人生を語らせたくない。

だから、取材も、スキルはあるけど、この1年で、抵抗を感じるようになっていった。誰かの取材した記事を目にするのも、気分が悪くなってしまうようになった。

その当事者が、記者にその言葉を放ったとたん、その人の言葉じゃなくなってしまう、その人のカラダの一部だったものが、そうでなくなってしまうこと、それが、ものすごく乱暴な行為であるかのように思えしまう。

それでももし、自分が許容できる文章や記事というのがあるとしたら、その人が何度も使ってしまう、本人すら自覚できていない何気ない言葉のクセとか、つなぎ方とか、語尾とか、全部生かしきれている、書き起こしみたいな文章だろうか。

だけど、そんな文章は、読みづらいし、文章が長いものは、メディアでは文字数にムダがないように、読者から途中で離脱されないように、読者にとってわかりやすいものにするために、エッセンスに削られてしまうし、言葉は、汎用性の高いものやキーワードに言い換えられてしまうし。

そういうのが、わたしは、とっても、冷めてしまう。なんなんだろう、この商売は、って。

記者が誰かを取材して、それがヤフトピにのって、何百万PVをたたき出したとする。

でも、それは、もう、取材先というクライアント様との間での「パッケージ」であって、「商品」であって、そこに「語り」などはない。

ないからこそ、商品なのだけど。うーん、もやもや。

「語り」がないがしろにされることに、わたしは許せないし、ひどい憤りを感じる。

ヤフトピに載って、インセンティブをいただくほど、葛藤が増していった

フリーライターになって、わたしは、すべりだし1本目の記事から、立て続けに、Yahoo!ニュースのなかでも、トップオブトップの「ヤフトピ」という場所に、何本か掲載させていただいた。

それで、もともとの原稿料に加えて、「インセンティブ」という加算報酬を、けっこういただいた。

「ライター」にとって、ベースの原稿料以上に、インセンティブでいくら稼ぐかというほうが、ライターとして食っていくうえでは、知名度的にも、大事なんだということを知った。

だから、どんどん、「ヤフトピ」に乗るような書き方になっていって、そうやって似たような、「語り」などもはやない、「語り」という無駄が削ぎ落とされた「記事」が、どんどん洗練されて量産されていく。

「ヤフトピ」に乗ることは、ライターにとっての憧れだったり、目標なんだという。

ヤフトピ目指して世の「ライター」たちがしのぎを削りあっているなかで、わたしもライターとして稼がなきゃ生きていけないという危機感を感じると同時に、それと同じくらいかそれ以上、本来はそこにあったはずの「語り」が、なかったことにされていくことに、激しい苦しみを感じていくことになった。

初めは、いただく「インセンティブ」イコール「ライター」としての評価であって、評価していただいたからこそ、もっとがんばりたい、がんばらなきゃ、という気持ちでいた。

だけど、がんばって成果を出そうとすればするほど、インセンティブをいただくほど、矛盾したもう一つの気持ちとで、引き裂かれていって、保てなくなるのも感じていた。

長くは続かなそうだな、という予感はした。

「声なき声」は幻想だった 「声」は初めから誰しもにあったと気づくまで

あと、関連して、もうひとつ。

わたしは、早稲田大学でジャーナリズムを専攻していた。そのとき新聞記者とは、「声なき声を代弁する役割がある」と学び、実際に新聞記者になって、その役割を果たそうと思ってきたし、実際にそうなったとき、やりがいや、喜びを、わたしは感じた。

だけど、いつしか、それは、マスメディア全体でもだけど、「声なき声」なんてもんは、幻想にすぎないのかな、と、思うようになっていった。

そんなふうに思っていた自分が、おごりだとも思った。

新卒で新人記者になって、あれからいくつも年をとって、わたしは、思ってもいなかった”当事者”にもいろいろ見舞われたりもした。

もちろん、だれもがなんらかの常に、当事者なのだけど。

当事者になってみて、「声がない」のではない、と思った。それは、わたし自身も、自分で自分を救っていくなかで、「声がない」のではなく、「声はすでに持っている」と思うようになっていったプロセスで気づいたことだった。

それを、「声なき声」なんて豪語していた、ジャーナリズムを学んでいた大学時代や、新聞記者時代のわたしを、ぶんなぐってやりたい。

誰が声を封じているのか、その構造に目を向けずに、勝手に声を持たない弱者だと決めつけ、代弁してやるよという、気持ち悪いほど上から目線の人たち、お前らもだよと、わたしは言いたい。

ひとりひとりの、自分自身も含めて、「リカバリー」の力を信じるようになってからというもの、「声なき声」を代弁するジャーナリズムは、もはやなくなったのではないかと思った。

安倍元首相の銃撃事件が与えたジャーナリズムへの衝撃

そして、ことしは安倍元首相の銃撃事件があって、それは確信となった。

「声なき声」なんて、まったくメディアは代弁もしてこなかったと。「声」はあったじゃないか、と。

みんなあれから「暴力は許されることではない」という枕詞をつけて、あの事件を語るようになった。

だけど、それが本当の理由だろうか。

あんな「暴力」すらなかったら、やっぱり、なかったことになったままだったではないか、と。

誰があったはずの「語り」や「声」を、なかったことにして、封じ込めたのか。

わたしにとって、記者やジャーナリズムという役割について考える、大きな、大きな転換点となることし1番の出来事になった。

なかったはずにされた「声」が次々と明るみに

同時に、なかったはずの「声」が「声」になる場面に、さいきんはよりいっそう出くわす場面も増えてきた。

これまで、「声」や「言葉」を持たないとされた人にとって、これまでは、なかったことにされていたから、メディアという存在や、代弁者や、「うまく書いてくれる人」が必要だったけど、そういう人たちが、そうした存在を必要とせずに自ら語り出すさまをみると、それでも、それを「うまく」「早く」書くことで、なんの意味があるのか。ほんとうに、わたしには、わからない。

言葉をあたためている最中の人にも、無理やり語らせようとしたり、下手くそに語っては、だめなんだろうか。

それを他人がうまく早く伝えることが、どれほど価値があるのか。

誰の「語り」も奪いたくないという本心に、気づいてしまった

ジャーナリズムや、ライターが、なぜ必要なのか、心の底からわからなくなってしまったーーだからこそ、わたしは、わたしの文脈で語ろうと思う。

それを、これからも、続けようと思う。

このわたしの「語り」を削らせないし、「うまく」言い換えさせてなんて、やるもんかと思う。

わたしは、わたしにしか、語らせない。

それはイコール、わたしは誰の「語り」も奪いたくない。

それがわたしの、記者としての正直な気持ちだった。本心だった。

そんな本心に、前から気づいていたけど、いよいよ本気で気づいてしまった。

それはさらにイコール、記者として「不能」であるともいえる。

だけど、「不能」になろうが、やりたくないこと、魂がそれをよしと思わないことを、したくないのだ。

それが、わからないなりに、いまのわたしが、できること。

それは、お金にはならないかもしれない。いや、ならないだろう。

だけど、この1年、フリーライターという経験もすることで、「ここは、誰にも明け渡さないぞ」という、わたしの部分を、確認することができた。

ライターについて思ったことは、ここでも書いてます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?