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終わりの始まり/争わないということ/小夏ちゃんがふいてくれた涙

ひさしぶりに気持ちが揺さぶられてしまったことがあって、その反動で、気持ちが沈みこみぎみだ。

なんで自分は、雇われる仕事をしていると、こうなるんだろう……。

こうなるとは、決まって以下のサイクルだ。

仕事を覚えて慣れてきた1〜2ヶ月後に、自分なりの最適化でやろうとし始める。そうすると、ものすごくやりやすくなって、気持ちよくて、パフォーマンスも上がってくる。

これまで慣れるために専念していたものから、慣れたからこそ自分なりにやり方やオペレーションなどを工夫して、それを自分なりに生み出していくことに楽しさややりがいを感じて、ひいてはその仕事の楽しさや醍醐味を感じ始める。

そして、その仕事に行くのが楽しいって気持ちになって、もっとがんばりたくなる。

様子見だったコミット度合いも増やしていこうとするようになって、シフトをさらに多く入れてもらったり、ほかの人が急な欠席で行けなくなったら、「はい」とすぐに手を上げる。

同時にその場所での居心地もよくなって、居場所にも感じられるようになってくる……。

そうして評価や信頼も得られるようになってくると、今回の場合はだけど、ずっと古くからいる人だったりから、仕事とはまったく関係ないところで、足をひっぱられるだけならまだいいけど、一挙手一投足、後ろにずっと立たれて見張られるようになって、箸の上げ下げとかどうでもいい部分で「あなた、ちがう!あたしのやり方通りにしなさい」とか、最後にはわたしの人間性や人格をこき下ろすような発言をしたり、あらぬ噂を流し始めたり……これまでのケースも書き出したらきりがないけど、まあ似たようなものだ。

今回は、箸の上げ下げをめぐるどうでもいいことについて、「あんたの価値観はぶっこわれている」「こんな常識しらず初めて見たわ」などと、福祉施設で調理の仕事をしているのだけれど、70歳代のいちばんベテランの女性から、2人しかいない厨房内で糾弾されたのが最後の日となったのだった。

わたしはこれまでも何度か、この70歳代の女性とペアを組んで、仕事をしていた。

ずっと、マイルールが絶対としか思わない人だった。箸の上げ下げ的なものでも、自分のやり方とひとつでもちがうと、パニックになり、わたしにそれを正そうとしていた。

別にそれはわたしにたいしてだけではなくて、誰もにそうだったら、そうした特性がある人だということで、なにか言われても、心のなかでは<どうでもいいじゃん>とか、<それ全然ちがうし思い込みもはなはだしい>と思うことがあっても、自分のなかの「軸」として、「その女性に言われたら、すべて『はいはい』といって従う」ということを決めていた。

自分の「軸」さえブレないかぎり、迷いや混乱が生じなくなって、大丈夫でいられると思っていた。

たとえば、薬の関係でグレープフルーツジュースが禁忌の入居者さんがいたとき、献立でグレープジュース(ぶどうジュース)を出すことになったのだけど、その70歳代の女性は、グレープフルーツとグレープ(ぶどう)は一緒だと言って、きかず、パニックになった。

いくらわたしがスマホで、柑橘系のグレープフルーツとぶどうの写真を見せたけど、その女性は、自分の頭のなかで「こうだ」と決めていることを、一ミリたりとも変えることができない人だった。

だから入居者の献立を一律アップルジュースに変更することで、丸く収めたりした。

そんなようなことがたくさんあった。

だけど、その女性の特性なのか、よく致命的なミスをしてしまう。あとで気づいた人にそれを指摘されると、やはりパニックになり「だって新人のmieさんが悪いんだもん」「あたし悪くないもん」とまるで子どものようにその相手や、同僚に大きな声で言っていた。

それも、わたしは流す、という「軸」を持ち続けることで、笑顔でやりすごしていた。

施設が決めたスケジュールやルールにのっとって、調理や配膳が決まった時間と手順によって、提供されること、それだけが、わたしたち調理、配膳スタッフに求められている役割だった。

その役割以外のところで押し付けられるマイルールや価値観は、その役割とはまったく関係のないところでおこるものばかりだったから、無視していた。

ある日、施設長から、身内に不幸が出てしまった人がいるから代わりに入ってほしいとお願いされて、3日連続で朝番勤務に初めて一人で入ることになった。

もう仕事も慣れて頭に入っているし、だからこそ、施設長からそのような任せられ方をして、その役割をまっとうした。

だけどそれが、今回、この職場を去るという不幸のきっかけになってしまった。

わたしが一人で入ったということは、自分たちに与えられた「役割」ではなく、他人の箸の上げ下げにだけ注目して、それだけがエサとして生きがいとして生きている70歳代の女性たち(複数いて、それがほぼベテランメンバーが占めている)にとっては、かっこうのエサだったみたいだ。

わたしはといえば、そのころ、もっと経験をつんで、そこにいることが居心地がよくなって、もっと役に立ちたいし、居場所とも感じ始めていたから、もっとコミットしたいと思い始めていた。

だけど、そう感じ始める瞬間、終わりの始まりだというジンクスも、これまでの経験で、何度も何度も、味わってきた。

そう感じ始めた瞬間が、いちばん幸せで、それが自分にとって終わりの始まりなんだと。

でも、そのたびに、<今回こそはちがう><今回とこれまでは、また別の話だ>と思うことで、わたしはそれを信じて前に進んでいったのだった。

だから、今回もそうやって、前にずんずん進んていこうとした。

だけど、やっぱり、今回もまぎれもなく、これまで通りだった。なんという、百発百中の的中率なのだろう。

3日間のピンチヒッターとしての初めてのひとり勤務を終えたら、わたしはいろいろな人から、ボッコボコにされた。すべて箸の上げ下げをめぐるどうでもいいことで、それぞれの女性が、それぞれ、「あたしのマイルールとちがう」といって、自分が正しい、ゆえに正しい自分に従わないとはなにごとだと、四方八方からわたしに言いがかりをぶつけてきた。

誰も入りたがらない穴の空いたシフトに、自ら進んで引き受けたのに、誰からもありがたがられなくて、「そんなもん引き受けるんじゃなかった」とまで思って落ち込んで弱ってしまった。

そんな弱ったなかで、先の70歳代の女性から言われた、とどめの一言だったのだった。

その一言だけいきなり言われてたらまだ、わたしは譲歩できていたかもしれない。だけど、これまでのことがもう積み重なっていたから、「もうこれ以上は無理だ」と思って、糸がプツっと切れた。

わたしはこれまで、普通の人は、目には見えないくらいの微細なキズさえ、とても痛く感じてしまう性質のため、たくさんの傷つきから、めったなことでは争うことをのぞまなくなった(もちろんこれは、というものについては徹底的に争うけれど)。

だから今回も、争うことはしなかった。というか、今回の場合は、争う気すら起こらなかったというほうが適切だとも思う。

これまで、自分のなかで、先に言った一貫してブレない「軸」を持つことで、その女性にたいしては気分を揺さぶられずに仕事をすることができていた。

だけど、今回は、箸の上げ下げをこえて、わたしの人間性や人格にかんすることにまで攻撃が及んだ。

尊厳を踏みにじられる行為については、これまで持っていた「軸」では、もう太刀打ちできない領域だったようで、わたしはこれまで揺さぶられずにきたものが、急に大きく気分が揺さぶられてしまったことに気づいた。

だけど、その揺さぶられを悟られないように、争わないことで、自分を守ったともいえる。

わたしをそうやって傷つけたことも、やはりなんの無自覚なまま、引き続き女性は自分がいいことをしてやってるというふうに、さらに得意げになって、箸の上げ下げについてのマイルールを「指導」して、上に立って教えているいい気分になっていた。

やっと従順になってきて、自分の指導が効いてきたのねと、まるで手応えを感じて酔っているかのようだった。

そのときすでにわたしは、この女性にたいしても、この職場にたいしても、見限っていた。もうすべてをあきらめていたから、その女性がその行為を存分に発揮することができたのだった。

わたしの「軸」を捨てて、自分にたいしての尊厳もすべてあきらめている状態が、この女性がもっとものぞんできたことなんだなことが、初めてわかった瞬間でもあった。

初めから、対等な関係を結ぼうなんて、無理だったんだと思った。その女性は、尊厳まですべてをわたしから奪い去って、自分の思い通りに相手を変えさせることが、マイルールで、わたしはまたそうやって、交わることのない人の存在を知り、もうすれ違うことすら未練もなにも感じなくなる。

「また来週、あなたは全然だめだから、わたしがずっと後ろに立ってあなたを教育してあげるから」なんて新たにできた生きがいに満足しながら、にっこりとして「お疲れさまです」と手を振って別れていった。

わたしは左手に、自分のコックシューズを持っていた。もう二度と行かないと決めた瞬間、誰かが処分に困らないように、そうやって私物を持ち帰るようにしている。

家に帰って、玄関を開けたら、小夏ちゃんが、いつもと同じように、おかえりと出迎えてくれた。

いつもとなにひとつかわらずに、全力で、一生懸命に、愛を示してくれる。

その全力さは、嘘や偽りが感じられない。

そんな純粋なものを見たら、凍りつくことで守っていた心が、一気に緩んでしまった。

あるいは、緩んだことで、凍りついていたことにも気付かされた。

そしたら、急に涙がぽろぽろ流れだして、止まらなくなった。

小夏ちゃんの出迎えシーンを撮影しようとスマホをかまえて待っていたMさんが、わたしの変化に気づいて「どうした?」といって駆け寄ってきて、3人で抱き合いながら、わたしは泣いた。

言葉は、いらなかった。

小夏ちゃんは、これまで見たことのないわたしの顔を心配そうにじーっと覗き込んだ。

そんなふうに小夏ちゃんは人を覗き込むようなしぐさや表情をするのかと、小夏ちゃんの新たな顔を知ったのも初めてだった。

それから小夏ちゃんは、わたしの止まらない涙を、ぺろぺろなめながら、ふいてくれた。

これまで食べたことのない、不思議な味だったんじゃないかな。

そんな小夏ちゃんがただただけなげで、そのけなげさにもっともっと泣いた。

これまでわたしは、そうやって、最高潮に達したところで、プツっと切れるものがあって、それが去るフラグとなって、自分から去る、ということを繰り返してきた。

いまも、誰かときれいにさよならできたらなと思うけど、見送られるまでいることはできないし、結果的に自分から去ることになるんだろうか。

争わないという姿勢も、自分を守ることだし、なんなら争うことは執着でしかなくて、本来の自分は、争いを好まない人間だということも知っていった。

新聞記者をしてきたこともあって、正義感が強い周りの記者同士や権力を相手に、目を血走らせながら、言論でもって命をかけて争い合うという光景を多く見てきた。

誰かに物理的怪我を負わせるのではなく、言葉という武器や知能を使った、戦争みたいな。

言葉という武器を持っているのに、戦わないなんて、新聞記者だったり、報道に携わるものとして、ありえないと思っていた時期がたしかにある。

だけど、自分もそうやって命をかけて、正義をかけた戦いをしたところで、正義は勝つというのが、必ずしもそうではない(というかむしろ正義は勝てない)ことも多く目にした。

それでも残るのは、再起不能なまでの心身的なダメージだった。そのダメージを受け入れるのは自分自身で、戦え戦えとあおって一緒に戦ってくれた人たちが、そこまで引き受けてくれるわけではない。最後は自分で引き受けるという当然のことも含めて、そこまでかけて戦うほどだったのか、とか。

正義をかけて戦った人が、それでいま幸せだったのかとか。いまも苦しんだり、歪んだ狭い価値観にとらわれて、それだけに人生を奪われてしまった人とか。

正義について、わたし自身も失ったたくさんのものをいろいろ考えたすえに、ふと気づいたのは、わたしは争うことを基本のぞんでいないということだった。

争わないことは、別に恥じたり引け目を感じたりしなくてもいいし、もっとフラットに、かつ自分で決めていいんだと。

そのかわり、「軸」を決めて、人から見れば、お人好しとか、どうしてそこで怒らないの?復讐しないの?とか言われるようなことに目をつぶって、その「軸」から逸脱することがあったら、そこからは身を引く道標のようなものにしている。

自分にとってのその境目は、尊厳までをも踏みにじられること。それ以前は、どうでもいいみたいだ。

話は少しずれて、というか、なんの話をしたいのかわからなくなってしまったけど、だけど今回は、去ったとしても、わたしはひとりじゃなかった。

3人で抱き合いながら泣いたとき、わたしはもう、ひとりじゃないと思えることができた。そうやって、自分が大切にしたいものを、大切にしていられるために、育んでいくのかなというものを、感覚として得ることができた。

だいぶ気持ちが揺さぶられて、その疲れで気持ちがダウンしまっているけど、しばらく休養しながら力をチャージしたいと思います。

繰り返しなので、もうその要領はわかっている。

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