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あした旅に出ようと君に言ったら君は「うん」と言ったので、ぼくらは旅に出ることにした

フードコートで上海焼きそばを食べて、近くのユニクロをふらふらしていたら、いいものを見つけた、と思った。

防風フィルムが中に入っているという、あたたかそうな巻きスカートで、食べたらふくれる気まぐれなおなかの位置も、パチパチがたくさんついているから、好きに調整もできる。

いまやっている調理のバイトは、冬は足元が冷えそうだけど、動くから足さばきはよくしていたい。

下にヒートテックのレギンスなどをはけいていれば、ルームウエアのワンピからもさっと着替えて、時間ぎりぎりだとかいって焦っても、すぐに出かけられそうだし、いいこともってこいだ。

ずっと重宝することも考えればコスパもいいし、いますぐ買わない以外の選択肢はない!と思ったのに、どうしても買えなかった。

なぜならわたしは、あした、Mさんと小夏ちゃんと3人で旅に出ることにしたからだ。

そんなたとえば海外とかに長期間行くわけでもなんでもない、小さな小さな旅なのだけど、いまこの瞬間考えていることが、次の瞬間180度とか平気で変わってしまうかもしれないわたしが、旅に出かけて、それからどうなるかなんて、まったく想像がつかない。

旅から帰ったら、たとえば、もしかしたらバイトもすっぱりやめているかもしれない。もしくは、帰ってくるのもめんどくさくなって、旅の途中ですでに「辞めます」と電話をしていて、もうそんなユニクロのあたたかいラッピングスカートなどは、いらなくなっているかもしれない。

なんでそんなものほしかったんだっけ、と思うならまだいいけど、ほしかったことすら、忘れているかもしれない。

そう、そのとき、その瞬間、喉から手が出るくらいほしいこと、やりたいことだって、数秒待ったら、そんな欲望があったことすら、忘れてしまっている自信が、悲しいけれど、そんなことを言ったら、社会的な信頼をなくすばかりでなんのメリットもないとわかってもいるけど、ある。

仮に、ほしいことだと覚えていたとしても、古ぼけたセピア色の、なんの魅力もないものに変わってしまうかもしれない。そのもの自体の価値は、1㎜だって変わってないほうのことが多いのに。わたしのほうが、いつも先に変わってしまうような気がする。

だからいつも、わたしはわたしを信じられない。そんなこと、その対象だけでなく、自分にすら失礼かもしれないけれど、恋焦がれたものにたいして、それは、恋焦がれた瞬間、裏切るものに変わってしまう可能性があることが、自分のなかでうっすら、だけど過去の自己統計からすでに判明していて、それを一時的な麻薬のようなもので、気づかないふりして、麻痺させているけれど、いつか効き目がなくなる日がくることを、誰よりも、自分がいちばんわかっている。

そんな裏切りの瞬間がわかっているから、わたしは誰かと、あるいはなにかとかかわってしまうことが、とても怖い。どこからが、「かかわりあい」というものが始まっているのかとか気になっていたり、まだ関係性とか発生してないよねと、免罪符を得たがったり。自分にとっても、相手にとっても、傷が浅ければ浅いほど、ほっとする。

そんな自分は、詐欺だといつも思う。

だけど、自分が詐欺の犯人でつかまってしまったとしても、恋焦がれていたいものはある。それがいわゆる、たしかなもの、といえる、たしかでないものなのだと思う。

だからわたしはあした、たしかでないものと、たしかではない旅というものをする。

たしかではないから、やはりどうなるかわからない。だから、ユニクロのあたたかなラッピングスカートは、鏡の前で試着までしてサイズもばっちりだったけど、買わずにハンガーにかけて、もどした。

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