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日々のもやもやを供養する「もやもや日記」を始めます

日々のもやもやしていることを供養する意味で書く、「もやもや日記」を始めます。

「いま」「この瞬間」に頭に浮かんでいることしか興味が持てなくなった

ここ数年ほどのわたしは、せいぜい「いま」「この瞬間」に自分が思うことにしか、興味が持てなくなりました。

一瞬一瞬で、思い浮かべていること、考えていること、アイデアなどは変わっていきます。

だけど、よく「え!?昨日言ったこととちがうじゃん」とか「さっきはこう言ってたじゃん」と言われます。

そりゃそうだよ、とわたしは思うけど、人は自分が発言したことは、きのうときょうとでは変わってはいけないし、ましてや、さっき言ってたことといまこの瞬間とでは、ちがってはいけません。

というか、責任を持たなきゃいけないのではないかとも思うのです。

だけどわたしは、さっき自分の言っていたことは、もうすでに過去のものとして、さっぱり興味がなくなってしまいます。興味のないことを考えることができません。いまあたまのなかに浮かんでいることだけに、興味があります。

興味がないと忘れてもしまいます。だから、「え!?昨日言ったこととちがうじゃん」と言ってくる人には、そう言われると、<ええと、自分、きのう、なんて言ってたっけ?><なんて思ってたっけ>と、取材ノートをめくり直して瞬時に、数秒間のあいだ、振り返るような工程が発生します。

別にわたしは、記憶喪失は起こしてないし、なんなら自分は記憶力がいいほうだから、そういう工程をおこなえば、正確に思い出すこともできます。

ですが、その振り返るプロセスが、とってもめんどくさいのです。

もう過ぎ去ったことであって、振り返る意味がわかりません。自分にとっては、「なんでいまさらそんな古い話を蒸し返すの?」「まだそんなところにいるの?」と相手のペースの遅さに、ブレーキをかけさせられているような気持ちにもなって、窮屈にストレスに感じます。

人それぞれ、マイペースというものはちがいます。だから、わたしには、人よりもいちじるしく遅いものが、たくさんあります。だけど、人よりもいちじるしく速くて、ブレーキをかけさせられていて、苦痛なことも、たくさんあります。

誰だって、アクセルをかけるのは簡単だけど、ブレーキをかけるのは、ずっとずっとストレスだし、疲れます。

自分を大切にできない、執着や自己愛が薄い…と欠落品のように思うこともある

そんな自分を見ていると、自己愛が薄いのかな、と思ってしまったりもします。というのも、自分の書いた本なり記事なりを、いつまでも自分の「分身」だったり、世に放つ瞬間を「自分が生み出した子どもの航海を見送るような気持ち」と目を細めて堂々と語れるまぶしい方々がいることを、知っているからです。

そういう思いを聞くと、ああ、彼や彼女は、自分をそんなにも大切にしてあげているんだなと思うのです。

自分、そして自分から生み出される言葉を大事にできるからこそ、それを分身とか子どもとかと思えてるのだろうし、そう思えないわたしは、自分すら大切にできないだけではなくて、母性というものもそなわっていない、欠落品なのではないかという気持ちになってしまいます。

過去に執着しすぎて溺れ続けていた10数年間のこと

でも、そんな執着が薄くなってしまったのは、ここさいきん出てきた新しい傾向なのです。

ある時期わたしは、ずっと同じことにとらわれて、反芻ばかりしていました(そのときは、同じことなんてまったく思えなかったのだけど)。

新聞記者の仕事も手につかないくらいに四六時中、ツイッターの裏アカかつ鍵アカを、短期間のあいだに、2万5000ツイートくらいはゆうにつぶやいて、それで指は腱鞘炎で使えなくなってしまいました。

いま振り返れば、溺れていた人というだけのことだけど、わたしはそのとらわれに、10数年間くらいの長い時間を費やしてしまいました。

それから、いろいろなことがあって、だんだん目が覚めてきて、いまにいたります。

だから、当時はいまと真逆で、自分の言葉なり思考なりに、すごくすごくとらわれてしまっていたわけです。言葉がすべてだとも思っていました。言葉にすることがすべてで、それが伝わらなければ、まったく意味がないとも思っていました。

だから、言葉と自分の境界線もわからなかったし、言葉とともに、死ぬまで生きていくんだとも思っていました。

そんな時期があったからこそ、いまの執着心のなさは、その反動といえます。言い換えれば、反動にすぎず、コインの表と裏の関係にすぎません。

コロナで死に直面したとき、執着心が消え去っていた自分を確信

また、そんな執着心のなさを確信したのは、去年、出張先の山梨で、当時はコロナのなかでもいちばん死亡リスクの高いデルタ株に感染し、死ぬことと隣り合わせの瞬間というものに直面したときでした。

肺炎を起こしていて、酸素は80以下になりました。溺れるような苦しさと遠のく意識のなか、わたしがそのとき思い浮かんだ人も、人生でやり残したことも、誰かに伝えておきたいことも、なにもなかったのです。

ああ、目の前でいま、起きていることを、ただただ受け入れるしかないーーとそれだけしか思えない自分がいました。

どうあがいたところで、死ぬときは死んでいくのだと思いました。

満床だった病院に、たまたまぎりぎりのタイミングで運良くすべりこめて、治療の結果、一命をとりとめたのだけど、こうやっていまそのことを冷静に書いて、いま生きていることが、逆にとても不思議な気持ちで、「あれ、生きている?」みたいな感覚で、毎日過ごしている。

生きている世界が、逆さになったような感覚です。

あのときの経験を経て、仮に、死ぬ前に、どんな言葉なり、それを生きた証というならば、そうした証を残したところで、なにになるのかという気分になってしまったのです。

そういう経験も経て、気づけば日々は、自分のこれまで生み出してきた言葉なり文字なりといった自分を大切にするという意味での自己愛や、執着心は、もうほとんど薄れてきてしまったんだなと、いやでもそう思いました。

だからつづって、そして供養したい、「いま」の「もやもや」

だから、そんなわたしが、誰かになにかを残すような、あるいは、自分の生きた証を残すような、そんな未来だったり、過去のことをいつまでも大事に大切にあたためておくために、つづるような、これまでのようなことは、もうできないというか、少なくともいまは、できそうにありません。

だけど日々、生きていれば、もやもやはたくさん募ります。その、「いま」直面している「もやもや」を、自分が勝手に複雑化させてしまった思考を整理したり、誰かへの忖度なしに、かみくだくことで、ああ、そういうことなんだと、自分で自分が納得してすっきりするための、そんな文章を、これからは書いていきたいと思うようになりました。

「もやもや日記」を始めようとしたきっかけを書こうとしたら長くなってしまいましたが、そういうことです。

これからよろしくお願いいたします。



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