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素問 金匱真言論篇 第四(3)

五行分類のお話

五行に分類すると次の通りになります。

五行分類の春!

春は東方の青色、五臓では肝に通じ、その穴は目、春は精気が肝に集中していますから、驚きやすくなる神経症状を起こします。その味は酸、その分類別は草木、家畜では鶏、穀物は麦、天空では歳星すなわち木星であります。故に春は気が頭に集まっています。その音は角、その数は八、春の病は筋にあり、その匂いはあぶらくさいです。

五行分類の夏!

夏は南方の赤色、五臓では心に通じ、その穴は耳、夏は精気が心に集中しているから、王様である心に異常を来たしますと、他の家来共に相当の臓がそろって病みます。その味は苦、その分類別は火、家畜では羊、穀物は黍、天空では榮惑星すなわち火星であります。故に、夏の病は経脈にあることがわかります。その音はち、その数は七、その匂いは焦げ臭い。

五行分類の土用!

土用は中央の黄色。五臓では脾に通じ、その穴は口、土用は精気が脾に集中していますから、病むと舌の根に異常をおこします。その味は甘、その分類別は土、家畜では牛、穀物は稷、天空では鎮星すなわち土星であります。故に、土用の病は肉にあることがわかります。その音は宮、その数は五、その匂いは香かんばしいです。

五行分類の秋!

秋は西方の白色。五臓では肺に通じ、その穴は鼻、秋は精気が肺に集中していますから、病むと背に異常を生じます。その味は辛、その分類別は金、家畜では馬、穀物では稲、天空では太白星すなわち金星であります。故に、秋の病は皮毛にあることがわかります。その音は商、その数は九、その臭いはなまぐさいです。

五行分類の冬!

冬は北方の黒色、五臓では腎に通じ、その穴は下半身にある前後の二陰、冬は精気が腎に集中していますから、病むと関節部に異常を来たします。その味はかん、その分類別は水、その家畜は豚、穀物は大豆、天空では辰星すなわち北極星であります。故に、冬の病に骨にあることがわかります。その音は羽、その数は六、その臭いは腐れ臭いであります。

専門学校時代は五行分類暗記しましたね。その原文がここにありました!

五方 東 南 中央 西 北

五色 青 赤 黄 白 黒

五臓 肝 心 脾 肺 腎 

五穴 目 耳 口 鼻 二陰 ※

五味 酸 苦 甘 辛 かん

五行 木 火 土 金 水

五畜 鶏 羊 牛 馬 豚

五穀 麦 黍 稷 稲 豆

五主 筋 脈 肉 皮 骨

五音 角 徴 宮 商 羽

五数 八 七 五 九 六

五臭 あぶらくさい 焦 香 腥 腐 

※五穴?私が習ったのと違う。。よくよく調べてみると五官に似てる!

 霊枢 五閲五使篇 五官 目舌唇鼻耳

初耳の情報もあったぞ。

春 肝が病むと驚きやすい神経症状を起こす

夏 心が病むと心に従順する臓器も病む 

土用 脾が病むと舌の根に異常が起こる

秋 肺が病むと背中に異常が生じる

冬 腎ば病むと関節部に異常が生じる

春は肝。怒りの感情をためやすいってのは有名な話。

驚きって!ちょっと聞いてないよ!違うじゃん!

じゃなくて、怒りと驚きって気持ちを思い出してみると、気が流れる方向性似てない?

怒りが沸くときって、ハラワタからグオーって上がってきて頭に気が昇る感じ。

驚きって、ハッとして、胸がどきどきドキドキする感じ。花火がパッと開くような。

って考えると、どっちも広がるエネルギー。似てるっちゃ似てない?

知り合いで肝炎のある人がいてね。イチイチ驚くの。ハラハラしてるの。その人をふっと思い出して。うーん。なるほどって思っちゃった。

秋、精気が肺に集中して病むと背中に異常を生じるのも、わかるわかる。少し涼しい季節になって、今私ふいに動くと肩甲骨辺りがつりそうな痛みが走る。ちょうど実際に肺があるところだもんね。固くなるのも納得。

冬、精気が腎に集中して病むと関節が痛むのも、わかるわかる。関節と関節の間が狭くなって、可動性がギシギシする感じがある。冬って収縮のエネルギー。なんか気の密度が高くなって集まってくるエネルギーが悪い方向性になるとそうなるのもわかる。

日常や臨床の経験にフィードバックできるとおもしろいねー。


治療家心得!

故に、診察を完全にしようとする者は、五臓六腑の運営が理にかなっているかどうか、あるいは陰陽表裏がその本来の正しい法に従っているか否かを見極める方法を知って、それを十分に会得し、実際にあたっては、心眼を開いて精密に、しかも細心の注意を払って判断しなければならない。
このように、この医術は大変に微妙でその上困難を極めるものでありますから、教えるのに適切な者でなければ教えてはなりません。この道に素質のあるものでないと、授けても無駄であります。
そうすることが道理にかなったことであると伝えられております。

ちょこちょここういう記述がある。昔の人はその奥義を学ぶとき、自分の血で血判を押しちゃうみたいな覚悟が必要だった。

素問 三部九候論篇 第二十


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