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パイパイ、おしまい。私が思っていたよりずっと、息子は大人だった。

2020年11月の出産から2年。2歳の誕生日の夜、息子はおっぱいを卒業した。どんな経緯でおっぱいをやめたか。きっと忘れてしまうから、未来の私のために書いておく。

思えば去年は、何度も断乳について悩んでいた。「いつ、どうやってやめるか」を決めきれなかった、というのが正確かもしれない。本人が自然に止めるまであげてもいいかな、という気持ちもあった。友人の先輩ママに聞いても、検索しても、答えは出なかった。そもそも、出産するまで、こんなにおっぱいについて悩むことになるとは思っていなかった。今振り返ると、断乳以外にも、私には3度のおっぱい事件があった。

一度目は、出産4日目の夜。明日で退院だ!とワクワクしていた夜中に悲劇は起こった。おっぱいが岩のようにカチカチになり、痛くて寝返りすらできない。胸に6つ貼り付けたアイスノンはすぐ溶けた。頭痛もあり、退院延期。出産直後で、私の身体がまだおっぱいを作る量をコントロール出来ていないのが原因だった。3日後には嘘みたいに柔らかくなった。

その後は、定期的に母乳外来に通い、息子がちゃんと母乳を飲めているかもチェックしてもらい、いい感じだった私のおっぱい。生後1ヶ月でセーブしつつも仕事を再開し、案外動けるじゃん!と気を抜いた生後3ヵ月すぎ。二度目の事件が起きた。乳腺炎になったのだ。
深夜に「これはヤバい」と思ったときには、とき既に遅し。翌朝、母乳外来に駆け込んだ。「乳腺炎は、痛くても授乳すると母乳の詰まりが取れて治る」と言われ、絶叫しながら授乳した。熱は39度を超えた。死ぬかと思った。私は左胸だけが炎症し理由を聞いたら、左乳首の咥えさせ方が甘くて空気を一緒に飲んでいたのが良くなかったそうだ。
助産師さんに「産後は動こうと思うと動けちゃうけど、疲れやすいからゆっくりね」と言われて目が覚めた。
私、働き方を変えなくちゃ。2021年3月のことだった。

6月に保育園入園。息子は、生後2ヶ月すぎから母乳のみだったので最初1ヶ月は哺乳瓶のミルクを全く飲まず苦労した。驚いたのは、人の身体の順応性だ。保育園に預けるようになると私の胸は、平日昼間は3時間おきに授乳しなくても全く張らなくなっていった。

そして、離乳食も進めながら朝9時〜18時までは授乳なし。家に帰ったら夜間含めて4.5回飲むスタイルが定着していた2022年3月。息子1歳3ヶ月。私の土日の一泊出張に合わせて、義実家に初一人お泊まりを決行した。ここで三度目の事件が勃発する。

ジージとバーバが大好きな息子。お泊まりは大丈夫でしょ。本人よりも心配なのは、私のおっぱい。案の定、当日20時すぎには搾っても出ない程に硬くなっていた。岩おっぱいの悪夢ふたたび・・・張りすぎて辛い。日曜は母乳外来も休みで、こんなにキツいならこのまま止めちゃえ!とドサクサに紛れて断乳しようと決意。2泊預けた月曜日、義実家に迎えに行き、タクシーでおっぱい欲しさに泣き叫ぶ息子をそのまま保育園に預け、母乳外来へ直行した。
このまま授乳を止めようと話す私に、助産師さんが一言。
「お母さん、断乳するか迷ってるよね。治療の投薬とか、理由がないなら今止める必要あるのかな?断乳は、お母さんと赤ちゃんの精神的同意が一番大事ですよ。」

え。精神的同意って、なに?私の断乳、振り出しに戻るの!?
頭はグルグルしながらも、おっぱいマッサージは続く。途中、息子の出産に立ち会った担当助産師さんも来て、3人で冷静に現状を分析した。そして、もし断乳する場合は授乳を止めて丸2日後に母乳外来に来るなど、必要な手順を確認し授乳は続くことになった。

その後、息子は離乳食を卒業し、幼児食へ。食べる量が増えると体力もつき、吸う力も強くなる。私は疲れやすく全てを吸われているようだと思いつつも、授乳は続いた。仕事も忙しくなってきた秋、2023年1月に3年ぶりの海外出張が決まった。そのとき、決めた。
2歳の誕生日でおっぱい、やめよう。

誕生日の2ヶ月前からカレンダーを使い、「この日キミは2歳になるから、パイパイさよならだよ〜」と伝え始めた。まだほとんど話せない息子。本人が理解してるのか、わからなかったけど続けた。1ヶ月くらい経ったある日。

「2さい たんじょび。
 パイパイ おしまい」

突然の出来事に、最初は聞き違いかと思った。そして、知った。
この子は、受け入れようとしてる、もうわかってるんだ、と。私はちょっと泣けて、心が揺らいだ。でも、ここで挫けちゃいけないと思った。赤ちゃんだと思ってたのに、私より息子の方が大人だった。

そして迎えた最後の夜。添い寝で飲みながら寝るのをやめ、ソファーで授乳した。「今日で終わりだから、パイパイにありがとうしようね」と息子に言ったら、いつもより長く飲んだ後、自分から「パイパイ あーと」と言っておっぱいをナデナデして一人で布団に向かい、寝た。その姿を見て、泣けた。私のおっぱいは、もう完全に仕事を終えたと言わんばかりに、次の日から全く張らなくなった。

そこから2ヶ月が経つ。息子が名残惜しそうにしていたのは、最初の3日だけで、今はたまにおっぱいを触ることはあっても、飲む仕草は全くしない。

今ならわかる。2ヶ月の準備期間は、私のために必要だったんだな、と。あのとき「精神的同意が必要だよ」と言って、私に考える時間をくれた助産師さんに感謝している。
この文章を書きながら、未だにちょっとウルウルと涙する私がいる。これが子どもが成長していく嬉しさと淋しさなのだろうか。まだ、うまく言語化できない。私の両親も、こんな気持ちで私を見ていたのだろうか。
子育てを通して、知らなかった自分の感情に出会い、ときに戸惑う。これがもしかしたら、子育ての醍醐味のひとつなのかもしれない。

大好きだったおっぱいも、飲まなくなったら、あっさりと手放していく息子。その清々しさ、ちょっと憧れる。
これから、どんなことが起こるんだろう。成長を目に焼き付け続けたい。

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