仕事と福祉の話

久しぶりの更新。特に書くことはないんだけど。眠れないので。徒然なるままに書くので内容はとっ散らかると思います。

さて、covid-19が猛威を奮っていますね。外出自粛要請により、僕の友達、知り合いも在宅ワークに切り替わっています。(在宅で出来るじゃん!常にそうしようよ、という話は置いといて。)

僕はというと引きこもりにニートですので、生活には何も変化はありません。たまに依頼される仕事も全て家でこなしています。

ちなみに最近傷病手当金が打ち切られたのでさてどうしようという状況です。しかしながらいっときの不安は感じるもののそんなに現実感がありません。

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完全にこの状態。

仕事の話をしましょう。仕事楽しいですか。楽しいのは良いですね。訊き方が良くなかったかもしれません。つらくないですか。つらくなければ良いですね。僕は仕事=つらいという負のオペラント条件付けがなされているので全く仕事をしたくありません。

お金の話をしましょう。お金があれば生きていける。というのはそうなんですが、正しくは生きていく為に必要なモノを抽象化(物質化と書かなかったのは信用なり仮想の価値があり得るからです)したものをお金と読んでいる訳です。つまり”生きていく”ということが出発点であり目的なんですね。

生きていく→(1)お金が必要→(2)仕事をする というサイクル。

この→(1)の部分、当たり前になりすぎてて誰もツッコミをいれてませんが、この部分変えられませんかね。それを→(1')とするとそこからのルートも変わってくると思いますし、分岐していく可能性もあるますよね。

具体的な話が一切無いですね。

福祉の話をしましょう。福祉は上記の→(2)の代替、というか分岐です。→(2')としましょう。つまりお金の為に仕事せず、お金は国からなにもせず貰えると。勿論制限がありますね。→(2)のルートを辿れない人たちの救済案という訳です。生活保護が→(2')として一番馴染み深いですかね。

先には→(1)の代替を提案しましたが、→(2)の代替も可能な訳です。

さて、話を戻しましょう。ウイルス禍の影響で→(1)→(2)のサイクルが止まってしまっている人が急増していますね。さてどのような対策を取れば良いのでしょう。

現実的なシナリオとして、持続的対策は取らないでしょう。この窮地を凌ぐその場限りの対策しか取らないと思うのです。ある人はコロナで死に、ある人は自死を選ぶ。がそれが最小限のリスクなのでしょう。そして、暫くして災害が収束した後、良かったね。日本は他国と比べて何人死者が少なかった。すごい!東京オリンピックはコロナからの復興だ!となる。なりそうじゃないですか。

おかしいですよね。いや、架空の話なんですけど。

福祉のパラドックスという命題があります。かいつまむと、窮困している人を選別して救おうとすると本当に貧窮している人は救えないというお話です。かいつまみましたね。wikiで調べて下さい。

まとめようかな。困っている人を救いたいなら全ての人を救おうとしろ。救いを必要としていない人にも社会的弱者と同じだけの待遇を用意しろ。さもなくば誰も救えない。

これは痛みだ。元の環境に戻すことが目標では無い。そこから学びとらなくてはならない。痛みは残った方が良い。

9.11はアメリカにとって大きな痛みだった。しかし、同時に大きな変革をもたらした。政治的変革だけではない。国民の意識の変革だ。そのくらいの代償を支払った。(トランプが全部ぶっ壊したけどね。)

日本はそして世界はアップデート出来るかな。


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