面白いnoteが書けなくなったという話

面白いnoteが書けなくなった。いや、そもそも面白い記事を書けたことがあっただろうか。自分で言うのもなんだけど最初の頃の記事はそこそこ面白かったと思う。

これらの"面白かった記事"というのは大抵自分の終わっている生活に対する自虐であった。底の見えない穴にどこまでも滑落していく自分を仮想的なもう一人の自分がその穴の上から眺め、その様子を面白おかしくnoteに書きつける。実際に落ちているのは自分自身なのに。

さて、では何故面白い記事が書けなくなってしまったのか。実際に現在進行形で僕の人生は終わりつつあるので、その様子を適当に脚色して書くことは出来なくはない。答えは、前述した"仮想的な自分"になることが出来なくなってしまったからだ。つまり、自分が自分自身になってしまった。自己の同一性の強度が増してしまったのだ。

このような視点から眺め見ると、過去の自分はある意味で分裂していたといえる。であれば、自分を自分に閉じ込めてしまっている今この状態。これは果たして前進か。

以下、山本直樹氏のマンガから。

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僕にとって、もう一人の自分を想定して現実の自分を面白おかしく描くことは、自己療養のプロセスであったのかもしれない。村上春樹も文章を書くことは自己療養へのささやかな試みって言ってたしね。

たまに文章を書かないと、まともな思考が出来なくなるので久しぶりにnoteに無味乾燥な文章を書いてみました。

ちなみに今後、僕が自己諧謔的な自虐的なnoteをばんばん書き始めたら病状が悪化したと思ってください。

おわり

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