コミュニケーションの話

コミュニケーションについて誰かと議論したことないな。難しい。ここでは話者1対1の言語によるコミュニケーションについて書こうと思う。余談だけど女の子のノンバーバルコミュニケーションってすごいよね。余談おわり。

僕は余りしゃべる方じゃない。人の話を聞く方が好きだ。だから相槌の打ち方は悪くないと思うし、それなりに気の利いた返答の仕方も出来ていると思う。そんな僕でもたまに"これ話したいな"ということが頭に浮かぶことがある。そしてそれを自然な形で会話に織り込めるよう誘導して話を展開するようにしている。が、不安になることもある。これは自然な会話なのか、相手は不快に感じないだろうか、楽しんでいるだろうか、等々。不安になったら切りがないのだが、僕はこの会話という不明瞭で誰からも教わっていない(体系的に)コミュニケーションに対して苦手意識を心の底に抱えている。体系的に教わるものではないのでやはり幼少期の経験に根ざした原因があるのではないか…。

ここまで書いた所で結論が無いことに気が付いたので話題を変えよう。


アメリカに行った時の話。現地の人と当然英語で話すのだが、その時ネイティブと話すのは初めてだった。拙い英語で何とかコミュニケーションを取ろうとする。何回かのやりとりの後、完璧に意思が疎通した。

嬉しかった。

人に自分の気持ちを伝えられることがこんなに嬉しいなんて、僕は感動してしまった。

何故、嬉しいんだろう。古来、民族という小さい単位で構成された群れは他民族に対して、排他的であるのが常であった。それは異文化への拒絶からくる。一方で多民族の受け入れた場合、文化の多様化という恩恵が受けられたはずだ。後者の方が遺伝子に濃く刻まれているのだろうか。

混沌といっても差し支えないほど複雑に入り組んだ現代で今後どのようなコミュニケーションが成立するのか。また、新たなコミュニケーションツールは生まれるのか。楽しみなところである。

無理やりいい感じにしておわり。



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