見出し画像

カッコつけるのはもうやめた

某企業でITサポートに従事している。
パソコンを使っててわからないことを教えるのも一つの仕事だ。

教えることは仕事の一つ。
質問されることに文句などあろうはずがない。(イチロー風で)

聞かれる。
教える。

それでいい。

でもモヤモヤが残る。
なぜこの人たちは自分で試してみようとしないんだろう。
なぜこの人たちは正解をまず求めようとするのだろう。

それは減点主義で育ってきた背景があるからだろうか。
間違えたら減点される、が、常に根底にあるからだろうか。

しくじっても何も減るものはないのに。
むしろ軽いしくじりを繰り返して覚えていったほうが身につくのに。

だから日本人は英語習得力が低いのかな。
常に完璧な文法で英語を話そうとするから。

いつまでも準備してるから。
いつまでもその準備が完了しないから。

そんな私も、アメリカ人が参加者のほとんどを占める会議に日本人でただ一人自分が参加したりすると、発言することに気が引けている。
ヘンテコな英語話してしまったらどうしよう。。なんて思ったりしているのか、時々発言に躊躇する。

私もどちらかというと完璧主義な方。
だから、パソコンの操作で常に正解を求めている人たちと実は何も変わらないのかもしれない。

この体に染み付いた、染み付き渡った減点されることへの恐れはなかなか取れないものだ。
でも、どちらが楽しいかを考えたら、小さくしくじりながらどんどん突き進んでいくことなんだろうと思う。

そうか。減点を怖がるという発想ではなく、どちらが楽しいかで考えればいいんだ。
常に正解を待っている生き方、一歩一歩石橋を叩いて渡る生き方は面白くない。安全だけど、進行もスローで、そもそもやってて面白くないでしょ。

この記事を読んでくれているあなた、今日から減点主義発想を捨てちまおうではないか。
私も捨てちゃうから。

カッコつけるのはもうやめようではないか。

子どもの頃、水泳で飛び込みができなかった。
とある友人は形がカッコ悪いながらも頭からプールに飛び込んでいた。

心の中で、「なんだそれ、カッコわりー」と思ってた。
飛び込みってもっとシュッと飛び込むもんだろ、と。

数ヶ月後、彼はシュッとプールに飛び込んでいた。
カッコ悪さを恐れた少年ボクちんは、大人になった今でもあの頭からプールに飛び込むというやつができない。

誰にカッコつけてたんだか今になっては全くわからないが、とにかくカッコ悪いことを避けてきた。

減点されること、カッコ悪いことを避けてきた。
でももうそんなちっぽけなことにこだわることはやめよう。

「どっちが楽しいか」で全てを選んでいこう。

本記事を最後までお読みいただき誠にありがとうございます。 少しでも、今後の執筆活動のため、サポートをいただければ幸いです。 いただいたサポートは今後の執筆活動費として大切に使わせていただきます。