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自分にできる支援の形

日本の中だけにいると、いわゆる「平和ボケ」になりがちだ。
とても小さなことにいつまでも悩んでいたりする。

世界では、日々食べるものにも困っていて、今日一日生きられるかどうかもわからないような状況の人たちがたくさんいる。
「そんなの言われなくてもわかってるよ」と軽く受け流せるのは、自身が二次、三次情報としてそれら情報を他者から受け取っているに過ぎないからだ。

私自身、世界に目を向け色々と考えるようになったのはほんの三年前。
そしてそんな正義感タップリな話を両親にしても「お前は変わってるね」ぐらいで受け流される。それが現実だ。

別に私の両親に非があるわけじゃない。
ただ単に、世界に向けてアンテナを張るような環境にいないだけだ。

三年前、偶然訪れたフィリピンはセブ島。
セブ島というと、観光地として有名だが、私は観光に行ったのではなく、あるNPO団体を通じて現地をより知るための活動に参加した。

その後、何度かセブ島を訪れることとなり、時々、NPO団体の代表ともお話しさせていただく。
彼(NPOの代表)は、主にスラム街の子どもたちを支援する活動を行っている。

支援の方法には大きく二つの考え方がある。

人類をピラミッドの形で考えると、一つはピラミッドを上の方を支援することにより、将来的にピラミッドの下の方の人も支援する形。
もう一つが、今日一日の生活にも困っているピラミッドの底辺の方の人たちを継続して支援していく形。

前者は、いわゆる世界で活躍するリーダーを育て、それらリーダーがピラミッドの底辺を支援していく形になるよう支援する。火事にならないような家の材質を考えるみたいなところか。

後者は、ピラミッドの底辺にいる、今日一日食べるものにも困っている人たちに食糧支援をしたり、生活支援をしたりして、日々目の前で発生する問題の支援をする。その場における火消し的な感じか。

前者の活動の方が効率の良いものに見える。
効率という点だけで考えると、そこに異論を唱える人はいないだろう。

ただ、今日一日の生活もままならない人に、「今は将来のためにリーダを育ててるからちょっと待ってて」と言っても、「?」だ。将来が必ず約束されている奴の寝言にしか聞こえない。

私は当初、前者の形こそが理想的な支援の形だと思っていた。世界に羽ばたくリーダーを育てるって、格好いい響きだし。
でも、その一方で、自身の様々な経験や、現場で支援を続ける人の話に直接耳を傾けることを通じて、今日一日生きるか死ぬかの人をとりあえず横に置いといて、将来だけに目を向けていくべきだろうかと疑問に感じたり。

スラム街で生まれた子どもたちっていうのは、おそらく一生その生活から抜けられない。例え支援を受けて小学校に通えたとしても、将来まともな仕事につけることはない。

ブラジルのスラム街出身のプロサッカー選手みたいなサクセスストーリーはごく稀で、スラム街で生まれた者は、大抵がスラム街だけで一生を終える。

そこで、たまたま日本に生まれた、恵まれている我々日本人に一体何ができるだろうかと考える。

まずは世の中の現状を理解することだろう。
そのためには日本語だけではなく、英語等世界で話されている言語を習得することも大切だ。

とにかくまず自分から情報を取りに行く、必要であれば現地を訪れる、現状を理解する、自分に何ができるだろうか考える、自分にできるアクションをしていく、だろう。

前者と後者でどちらの考えが良いかという話ではない。
それぞれがそれぞれの形でお互いに支援し合っていければより良い世の中になっていくはずだ。

Pay it forwardの精神。
ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいく。

人は必ず誰かしらに助けられて生きてきている。
だからその恩はどんどん世の中に返していくべきだ。

まずは自らが情報を取りに行ってみませんか?
そして自分はどのポジションで何ができるか考えてみませんか?

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