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「矯正」しようとした子育てから「その子らしさ」を見ていく子育てに変化できた要因はこれだった

最近、子供の存在がさらに愛おしくなって、本当に素晴らしい存在だな~なんて感じています(親バカ)w。

しかし、子供は可愛くて大切な存在だったけれど、子供の個性ではなく育児書に振り回されて子供を矯正させることばかりにエネルギーを注いでいた時期があります。

「こういう能力・人格が社会で認められる人間」という思い込みが子供を矯正することに走らせたな~なんて考えています。

ありがたいことに心に携わる領域に身を置いたことで、人間の無限の可能性に何度も出くわして、無理やり矯正することの無意味さ(むしろ毒であること)を理解していきました

そうしたら、いろいろ気になっていた子供の言動あれやこれ、それらが素晴らしい個性だな~ということに気付いていったんです。危うく子供の生まれ持ったギフトを潰すところでした。


出木杉くんみたいにするための矯正

今でこそ多様性が謳われるようになりましたが、現在42歳の私は、出る杭は打たれる世界に長らく身を置いており、優劣、勝ち負けの評価が当たり前にある時代でした(今も色濃く残っていますが)。

私は劣、負けを感じることも多くて、子供に同じ思いをさせたくなかったんですよね。

だから、一般的に評価される人格・能力を持っている人間に育てなければ!!という思いが強くありました。
私が思い描く評価される人間は、勉強ができる、運動ができる、リーダーシップが取れる、自己主張ができる、周りの人に優しくできる、本が好き、知的好奇心が強くある、自分で考えて行動できる、礼儀がなっているなどなど。

なんでしょう、、、このドラえもんに出てくる出木杉くんみたな人物像は。

でも、昔の私は本気で、このような人間に育てることこそが社会で評価されるために必要なこと!と思い込んでいたんです。

だから、育児書なんて何冊も読みました。子供を見るのではなくマニュアルばかりに囚われている状態。子供の個性の尊重なんてどこへやらです。

引用:https://dora-world.com/characters/dekisugi
万能優等生ww

矯正フヨウ。生まれ持った素晴らしいギフトを誰もが持っている。

そんなことを思い込んでいた私ですが、ありがたいことに人の心の変化や、人の本質に触れる仕事に就くことになり、

「えっ、なんでそこをダメだと思うの?」
「否定しているけど、素晴らしい個性だよ…」
「抑圧するなんてもったいない」

なんて場面に何度も出会いました。

さらに私自身も様々な専門家から学んだり、サポートを受け、自分自身を見つめる機会を得ていく中で、「ああ、私のままであっていんだ」という感覚が芽生えていきました。

ずっとダメなものとして抑圧して、否定してきた自分の存在を、自分のままでいいと思えたことで、ずっと心にあった重たい漬物石がなくなったような感覚になりました(イメージつきますか?)。

漬物石がなくなったことで、ずっと抑圧していた、自分を表現していけるようになって、そうするといろいろなことにチャレンジしていけるようになったり、ありがたいご縁をいただけたり、嬉しい言葉をいただいたり、いい循環がめぐるようになったんです。

今までさんざん自分のままではダメだと矯正に矯正を重ねて頑張ってきたけれども、自分のままでいいと思って生きたら、こんなに満たされていくんだと思えるようになりました。

自分の体験からも、人を見ていても、矯正なんてフヨウ!生まれ持った素晴らしいギフトを持っているんです。

子供に対する意識の変化

以前は、自己主張しすぎる子供に対して「我が強すぎるのはよくない。相手のことも考えられるようにどうにかしなくては!!」と思い、一生懸命、矯正することにエネルギーを注いでいました。

今も自己主張と相手を思いやるバランスは大切だと思うので、気になるときは私の考えを伝えることもありますが、「こうあるべきだから矯正せねば」というよりも、この子がさらにこの素晴らしい個性を活かしていくために、というところから伝えられるようになりました。

そして、ここが変化なのですが、今まではすぐに直してほしかったんです。しかし、今は、いつかどこかのタイミングで気づいていったり、学んでいくだろうな、という思いと、私の価値観ではバランスが大切だと思っているけど、もしかしたら面白い個性として楽しくやっていくかもしれないな、なんて思ったりします。(どうなるかわかりませんが汗)

矯正時には莫大のエネルギーを注ぎ、心身疲弊しきっていました。今思えば、トラをウサギにしようと頑張っていた感じ。無理なことに挑戦していたんです。

矯正ではなくて、自分を活かす

私はどんなに矯正しても出木杉くんになれる能力はなかったから、子供には早くからいろいろ体験させて出木杉くんになれるようにしていかなければ!と思い込んでいました。(当時は出木杉くんを目指していたことに無自覚でした。)

でも、矯正なんてしなくてよかったと行き着けました。

優劣や勝ち負け、いい子/悪い子のような評価軸があると、認められる方になりたいと思うのが人間ですよね。私もそのような気持ちがあります。特に社会生活においては。

でも、人間なんて凹凸で完璧じゃない。だから美しい。機械で作られる大量生産品ではなくて、一人一人違っていて、その個性が本当に素晴らしくて美しいんですよね。

自分を矯正する環境ではなくて、活かせる場を自分で探していったり、ないと思えば創ればいい。今はそんな風に思っています。

自分のままで生きることが人生の良い循環を運んでくれる。そう思うと、子供は子供のままで生きていてほしいと思えて、矯正に注いでいたストレスがなくなり、子供に対して純粋に愛おしいな~という気持ちがわく日々が送れるようになりました。

まあ、子育ては道半ばで、これから何が起こるかわからないし、いつもいつも穏やかという理想像とは程遠いですが、心地よいかかわりになってきたな~と感じています。


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