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明日への手紙#4(完)

その次の日、会社の有給休暇をとって、僕は地元にトラックを飛ばした。朝の小学校に行くと、校舎はやや古びていたがそのまま残っていた。窓ガラスには「やる気」「力」「元気」と貼られていて、校門には僕達の時には無かった園芸部と書かれた花壇が植えられていた。僕が鉄棒にたどりつき、鉄棒を触る。こんなに小さかったっけと思い、逆上がりをすると、足が鉄棒に引っかかった。僕はくすっと笑った。まだ笑えるんだ。
「やっちゃん?」と僕の背後から声がした。どきっとして振り向くとハルカだった。ハルカの服装を見ると夜のきらびやかな服装とは違った、半袖の無地の真っ白なTシャツと黒いジーパンを着ていた。僕は、ハルカにはそっちの方が似合っていると思った。顔にも化粧をほぼしていなくて、その素朴な顔が僕の心臓は鼓動を早めさせた。ハルカに聞こえるくらいに高鳴る鼓動を抑えつつ、
「ハルカも来てたのか?」と言った。
「何故か、小学校の手紙が気になって」とぎこちなくハルカは笑う。
「ねえ。やっちゃん。小学校の時に埋めた、手紙覚えてる?」
「うん。それを見に来た」
「何書いたか覚えてる?」
僕は頭を横に振った。覚えてない。わたし、覚えているの。
「掘ろう」
とハルカは言い、鉄棒の下にかがんで、土をほり始めた。マニキュア用に伸ばした爪が割れるかもしれないのも気にせずに、爪の中に泥が入るのも構わずにハルカは一心不乱に掘り出した。僕もハルカの真剣な姿を見て、一緒に掘り始めた。ハルカは時折、僕の顔を見て微笑んだ。スナックで観た「営業用の顔」ではなく、「小学校の君」だった。

五十センチの土をほり出した後、君はあったと大きく叫んだ。二通の手紙は白かったはずだが、処々風化して黄色く変色していた。二通の手紙を見比べる。1通の形の整わない汚い字の手紙は僕だった。遠慮がちな小さく丸い字は君だった。君は嬉しそうに二通の手紙を見比べる。土に汚れた手を一回ジーパンでぱんぱんと叩いて、君は僕の目を見る。笑った時に出る君の笑窪は小学校のままだった。僕は「君」を思い出した。あんなに「君」の事を好きだった自分も同時に思い出した。

「私が手紙をあけるね」
君は言い、手紙を丁寧にちぎって開けた。僕たちは手紙を一緒に見る。僕の傍にいる君の髪の毛からシャンプーの匂いがして、僕の心をざわつかせた。ハルカの手紙に書かれていた一文は、
「やっちゃんのお嫁さんになりたい」
だった。ハルカは僕の顔を見て微笑む。「ほらね。覚えてた」僕は心臓をナイフで刺されたように痛んだ。そして、僕は何も言えなくて俯いた。「俯かないで」そして、ハルカは微笑んで、「やっちゃんの」と言って、僕に「僕」の手紙を渡す。僕は、気持ち半分観たくなかった。でも。僕は、その気持ちの半分は、何を自分で書いたのか気になっていた。「開けよ」とハルカは僕の手紙を持つ震える手を握る。僕の冷たい手をハルカの温かい手が包む。僕は手紙の封を慎重に開けた。手が震えて、なかなか上手く開けられない。僕は二十年前の自分の手紙を自分で開ける。
「ハルカを幸せにしたい」
と一文、汚い字で書いてあった。それを観た瞬間、僕の目からぼろぼろと涙が零れてきた。止めどない涙が、目から落ちてくる。止めようとしても涙は止まらなかった。
「泣かないで」
ハルカは僕をしっかり抱きしめる。ハルカの目から涙が零れる。隣のハルカは僕の肩に頭を乗せる。僕の肩にハルカの涙がかかる。君の息遣いを肩で感じる。君の髪の毛からシャンプーの匂いがまたした。
「泣かないで」
君は僕に言い、自分に言い聞かせるように言った。校舎の山の稜線に紅い夕陽が沈もうとしている。夕陽がこのまま、僕たちを溶かしてしまえばいいと思った。このまま時間を止めてくれてもいい。僕は君を思いきり両手で抱き締めた。僕は小学校の時からずっと君に触れたかった。「触れたかったんだ」と僕は君に言った。君はぎゅっと僕のTシャツの背中を掴む。
「小学校の約束果たして」
君は泣きじゃくりながら言う。「私、やっちゃんに抱き締められたかったの」と言い
「手紙の夢、叶ったね」
と涙を手で擦って、泣いて腫れぼったい赤い目で言う。僕は黙って首を縦に振り、ハルカを一層、抱きしめる。

プロ野球の選手になれなくたって、今、孤独だったとしても、先の見えない人生だったとしても、今、君といられる時間が愛おしいんだ。

僕と、ハルカは、何時迄も夕陽が沈むのを見続けていた。鉄棒の下に埋めた手紙が僕を支えてくれていたんだと思った。ハルカは君の手をいつまでも握っていた。ハルカはこっちを向いて微笑む。ハルカの靨が頬に浮かぶ。僕も微笑んだ。「やっと笑ってくれたね」とハルカは言った。

ありがとう。ありがとう。僕は何回も心の中で言った。また暗闇が訪れようとしても、僕は君を守り続けると決めた。僕と君の手はもう離れなかった。

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