tommy D Morgan

ユダヤ人とのハーフであった父から、幼い頃からユダヤの躾をされて、暴走族時代、ラガー時代…

tommy D Morgan

ユダヤ人とのハーフであった父から、幼い頃からユダヤの躾をされて、暴走族時代、ラガー時代、医学生時代、ニューヨークでの外資金融時代を経て、40歳で父の後を継いで悪戦苦闘の激務の戦いから、グローバル企業のオーナー業になるまでの悲喜交々の戦いの思い出をブログにまとめたいと考えています。

最近の記事

新たな道への一歩

苦境を乗り越え、新たな道への一歩』 私は、人種差別の中本社採用になり、プロパーとして入社することができました。しかしながら、私の同期はケンブリッジ大卒ハーバード大卒が多く、言わば上流階級の白人でした。彼らは次々と責任ある仕事に就き、私は子会社に出向し、戻ってきても営業サポートの仕事に従事する毎日でした。郵便配達などは、私の同期たちがするような仕事ではありませんでした。 しかし、オーナーとの関係を深めるために目標を掲げることで、少しずつ視野が広がっていきました。そして、ワシント

    • 思いもよらない出来事

      カナダから帰国して、オーナーに報告し、ヘッドマネージャーへの移動の話を進めていた時のことです。その前日、私は突然電話を受けました。驚くことに、再びプライベートエアに乗る機会が巡ってきたのです。 本当に驚きました。こんなに早く何度もプライベートエアに乗れるなんて、今度は私は豪運なのかと思いました。さらに、頭部はスキンヘッドの男性から全米でも有名な会社の社長を紹介され、彼が私の代理として営業をしてくれるという奇妙な話もありました。その結果、売り上げが勝手に上がっていくのです。本当

      • 私生の一大冒険

        私は数々の偶然の出来事と運命の巡り合わせによって、私の人生が大きく変わる瞬間を経験しました。一週間前の出来事から始まった驚きと混乱の連続は、私に新たな可能性を示してくれました。 全ては、私がオーナーに話したことから始まりました。彼は私に、一枚の名刺を差し出しました。その名刺には、アメリカ最大の穀物会社の社長の名前が書かれていました。彼は私に、その人物と連絡を取るよう指示しました。 驚きながらも、私はその社長との面会のためにカナダへ飛ぶことになりました。私一人での旅行に戸惑いを

        • 小さな世界からの視点の拡大

          私は日常的に人種差別とリストラという不安に苛まれ、眠りの中でも絶えずそれと戦ってきました。しかし、一人で頑張ってもリストラは避けられず、もし切られるのならば、私のような黄色人種は最も危険な存在だと感じていました。 そんな不安に満ちた中、私はワシントンDCへの休暇に出かけました。それは、かつてのクラスメートや弟に会うこと、そして白米、味噌汁、お新香が食べられることが、心の不安よりも求めるものだったのです。 早く到着した私は、予定通りホワイトハウスツアーに参加し、一時の観光客にな

        新たな道への一歩

          自分で先を切り開かないと

          外資系企業の捉え方と、私の経験と題して、外資系企業に対する一般的な見解と、私自身の経験について考えてみたいと思います。 外資系企業に対する一般的なイメージは、多様な要素が絡み合っています。一部の人々からは、グローバルな視野やキャリアの成長の機会を提供してくれる存在として評価されています。一方で、他の人たちは、組織が非常に競争的で厳しい環境であることを指摘しています。 私は、最初に外資系企業に入社した時は緊張感に包まれていました。正社員とは言え基本的には契約社員であり、一定期間

          自分で先を切り開かないと

          WTC

          1985年6月12日 のちに9.11で崩落する世界貿易センタービル南館の北米セールス事業部。朝陽が当たり気持ちの良い朝を迎えました。私のアパートメントはブルックリン橋近くの4階建てのアパートメントで一階、二階には日本法人の企業の役員がご家族で住んでおられます。私は4階のフロアーを使っており家賃は20万円、ただし、父に支払っております。目の前にはグリーンロードがありました。私はウォール街へ出勤する時は徒歩で手掛けますが、このビルに来る時は自転車でやってきます。デスクの横に自転車

          サラリーマンの哀愁

          スイス銀行と夢の一夜スイスの系列銀行は、ニューヨークの銀行とは異なる雰囲気を持っている。厳格さを感じ、少し緊張感が漂っていた。ニューヨークは緊張感がないわけではないが、扱う金額も桁違いだった。私はその時、スイス銀行のシステムに触れ、まるでドラマや異世界のような感覚を抱いた。ここには世界中のお金が集まるのだ。連邦の監査が届かず、世界で独立した銀行という認識を持っていた。私は封筒を社長に手渡し、会社内の様子も見学させてもらい、スイス銀行の役割についても教えてもらった。あり得ないと

          サラリーマンの哀愁

          スイスのグループ銀行訪問

          私はマネージャーと一緒に階下に降り、待ってい人たちの視線感じました。皆が私に期待してる様子が伺えが、私は何起こったのか何を期待されいるのか全くかりませんした。 するとマージャーから声掛けられました。「私は今夜、スイスへ飛ぶ予定、この封筒を手渡すように頼まれたのだ。」と、一体どうしてこんなに急な要求なのか、不思議に思いました。 私はしばらく考え込みましたが、やがてその理由がわかりました。「なぜ飛行機で手渡す必要があるのか?」と質問すると、自分でも驚くべき理由であることを聞かされ

          スイスのグループ銀行訪問

          サラリーマンの悲哀

          午後1時になり、私はオーナールーム向かう。途中で北米セールスデビジョンのサブマネージャーのリーゼルと出会い、彼は私に頑張れよ、勇気を出せよと励ましてくれる。彼は49歳の長老派で、30年以上も業界で生き抜いてきた経験豊富な人物だ。彼の言葉は力強く、苦しい時には何度も励ましてくれる。彼はプエルトルコ出身で、イタリア系アメリカ人の妻と2人の子供と共にアメリカ人として生活している。 オーナーがやってきたので、私はオーナールームに入って挨拶をするが、彼は私の二回のノックをダブルノックだ

          サラリーマンの悲哀

          悪しき習慣の自己判断

          自己の判断基準について、まず自己の利益ばかりを追求する人は、他人の利益のために何かを断つ決断をしないでしょう。また、お祈りするだけで全てが叶うということはありません。何かを成し遂げるには覚悟も必要ですが、ただ気合だけでは物事は簡単に進まないこともあります。世界人助け指数によると、日本は人助けランキングで最下位に位置しています。これは日本の平和ボケや人々の意思決定の難しさにも関係しています。ボランティアに関しても、日本ではその習慣があまり一般的ではありません。自己判断の基準につ

          悪しき習慣の自己判断

          父の原理原則の教え

          朝陽と闇、そして原理原則の重要性についての考える。 「日が昇ると起き、日が沈むと寝る」という行動は、生活の基本として当たり前のこととして認識されています。朝日を浴びることは、清々しい気持ちや新たな始まりを象徴しています。一方で、夜になると闇に包まれ、静かに眠りにつくことが大切とされています。 このような原理原則は、人を動かすために必要なものです。もし原理原則を知らないまま行動すると、うまく結果を出すことはできません。お金を稼ぐ場合も同様で、原理原則を無視した方法で儲けたとして

          父の原理原則の教え

          成長とは目的では無く方法論

          成長というのは、私たちが社会や個人のレベルで経験し、達成することができる重要なプロセスです。しかし、私は過去の経験を振り返りながら、成長を追求するために使用している方法論について反省する必要があると感じています。 一つの反省点は、目標設定の重要性を見落としていたことです。過去に目標を立てるとき、私は具体的で実現可能な目標を設定せず、模糊な目標を抱えていました。これにより、結果を評価するための明確な基準が欠けており、進捗を確認することが困難でした。例えば、「自己啓発をする」とい

          成長とは目的では無く方法論

          お金の賢い使い方と成長への道

          お金の四原則。これを守らなければ成功はしない。 お金は、我々の生活に欠かせない要素です。しかし、過去に振り返ってみると、私はお金に関する考え方が甘かったと反省せざるを得ません。無駄遣いや貯金の不足、そして投資のチャンスを逃してしまったことがあります。このエッセイでは、私の経験を通じて得た教訓をシェアし、お金を削ること、無駄を無くすこと、貯めること、そして増やすことの重要性について考察します。 まず、お金を削ることの重要性についてです。過去に私は、欲しいものがあるとすぐに購入し

          お金の賢い使い方と成長への道

          歴史研究から営業へ!私が北米セールスチームをサポートする日々

          私は本当に頑張りました。オーナーに歴史の研究を許可してもらったとき、真剣に取り組みました。そして、念願の営業の仕事に転身しましたが、実際の役割は北米のセールスチームのサポートでした。契約書の確認や調整、アポ取りなどを担当しましたが、なかなか自分のやりたいことはできませんでした。ただ、日本の企業関係者が訪れると、私は対応することになりました。これは私にとって良い仕事でした。日本人と会うことができ、日本語も通じるからです。そして、後に大手企業の重役や社長たちがたくさん訪れ、一生懸

          歴史研究から営業へ!私が北米セールスチームをサポートする日々

          マネージャーの励ましに勇気づけられ、私が一番になるためのスタートを切った日

          ある日、私は辞める覚悟で出社しました。するとデスクにはマネージャーからの伝言があり、私の手紙が置いてありました。恐る恐るマネージャーを訪ねると、彼はいきなりハグをして「お前はたいしたものだ」と言いました。彼は自分が一番だと思っていた時代を経験し、それが愚かだと気づいたと話しました。そして、私も一番になるためのスタートを切るべきだと励ましてくれました。私はこの経験を忘れず、頑張ろうと決意しました。この話は今でも新入社員に伝える機会があります。

          マネージャーの励ましに勇気づけられ、私が一番になるためのスタートを切った日

          マネージャーの紙飛行機 - 絶望からの励まし

          私はオーナーに日本の歴史を指導する機会がありましたが、仕事は忙しくて大変でした。一度だけオーナーと1時間話すことができて嬉しかったです。ある時、アフリカ系の上司から、顧客への謝罪文を書くように命令されましたが、英語が苦手で感情をうまく伝えることができませんでした。締め切りまで3日しかなく、結局手紙を書くことができず、最後の日にマネージャーに私の絶望と努力が込められた紙が紙飛行機にされ、舞い上がってしまいました。その夜私はもうダメだなと失意のどん底にいました。国を離れて1年と少

          マネージャーの紙飛行機 - 絶望からの励まし