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1993年 卒業旅行で初の海外

卒業旅行01
さぁ先日発掘された大学卒業旅行のメモ帳を書き起こしして行くよ。美術部三人組でヨーロッパの美術館を巡る旅行でした。文化や物価、レートも違うだろうから、その辺りも非常に楽しみ。それでは1993年にレッツ タイムスリップ!

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#02 /25 木

0700 調布駅北口
0900 京成スカイライナー(上野駅)
1100 成田(Sさん)
1400 離陸
1800 モスクワ寄港(10時間)
2100 ローマ(3時間半)
ダヴィンチ空港internationalにて始発を待つ
0130 警察官にパスポート、旅券の提示
・HB(友人)券が見つからない
・マシンガン
・撤去される人あり

◎飛行機について
・外見は大迫力、めっちゃかっこいい
・乗り心地、成田離陸に少々興奮気味
・機内ではメシ食って寝ての繰り返し
・英語のサービスに少々戸惑う

◎Moskva
現地時間18時で、もう真っ暗。寂しい。薄氷がはっている。

◎Roma
・Japaneseは入国簡単。怖いくらい。
・ロビーには多国籍に渡る人々がいた。
・みんな目つきキョロキョロ

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学生時代、小生は調布に住んでいた。北口って書いてあるくらいだから調布駅で待ち合わせしたのだろうか?その時の状況は覚えていない。

はっきり覚えているのは通勤時間帯であったため、荷物棚の上に上げた大きいバックパックを上野駅で下ろす事が出来ず、日暮里駅で下車して戻った記憶がある。いきなり汗かいたわ。現代のように乗り換え案内等で分刻みのスケジュールが出来ていた訳では無い。スケジュールに余裕があった時代でよかった。

またHB氏が待ち合わせ時間に来なかったために上野駅もしくは成田空港に二人組で移動を始めていた。当時は携帯電話も無く、互いの状況把握ができないってことも、この当時の旅行の面白さだと思う。当時、HB氏のことは色々面倒くさい奴だけど一番年上で行動力がある奴と評価していた。と言うことで我々のリスクを最小限にするため、私達は二人で移動を始めたのだ。

今振り返るとけっこう冷たい行動?でも同行者の同意があったので移動したんだと思う。そんな関係性の三人旅と言う感じと言うことか。

チケットはHISでロシアのアエロフロートでとった。それとユーレイルパスとトーマスクックの時刻表もあわせて購入した。旅程がどうなるかわからないと思っていたので、地球の歩き方持って安宿、ユースホステルを行き当たりバッタリで利用する予定だった。ローマは夜の到着で宿泊は諦めて空港泊にしたんだ。せっかく宿を予約していたSさんも付き合わせてしまったのだ。

初めての飛行機、初めての英語での会話、初めての海外、初めての銃ってことでアドレナリン出まくりだったと思う。成田空港で同じ便に乗る我々よりちょっと年上のSさんに話かけられ親しくなる。Sさんはローマでの初動を一緒に旅することになる。飛行機の中でHB氏はSさんから散々海外旅行の怖さを教えられたようであり、空港に着くなりビビり過ぎていることに違和感を感じていた。その結果、空港にて夜を明かす際に警備員に声をかけられ、なかなか腹巻きに隠したパスポートが見つからず、警備員の前であちこちに分散させた秘密の隠しポケットを全て開示して行く様子がこっけいでたまらなかった。銃を抱えて目の前に警備員が立っていたのだが、隣で笑いを堪えるのに必死だった。

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